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2009年5月

2009年5月12日 (火)

お昼のB級グルメ(人吉編)

人吉9

「ところで、お昼はどうするの?」。帰り支度を整えて、「さて」と腰を上げようとしていた時である。水俣で知り合って、今は、人吉で仕事をしているY氏からそう言われた。さんざん大食いをした翌日のことである。昼くらい抜いてもいいか、くらいに思っていたのだが・・・。

「ラーメンでよければ、ウマいところがあるんだけど」という。Y氏によれば、そのお店は、テレビ番組か何かで優勝か準優勝かしたらしく、また、関東の「なんつっ亭」の店主が、その店で1年間修行をしたということで、全国的にも有名なのだそうだ。「昼時に行ったら、まず入れないよ」ということだし、熊本出張の時には、大体一緒に飲んでいる同期のK氏も、人吉に来たら間違いなく寄っていくらしい。

開店の時間は、午前11時45分(実際は、11時30分)だというし、ここ(中青井町)からだと、歩いて10分もかからないくらいだから、是非行った方がいいよと勧められた。それで、「悪いが、これからすぐ出かけなければいけないので、一緒に行けないのが残念だけど」とちょっとつれないY氏の声を背中に、訪問先を後にした。

そのお店の名は「好来」という。Y氏からは「コウライ」と教えられたが、厳密に言うなら「ハオライ」というのが正しい。Y氏曰く、「昨日泊まっていた人吉旅館の前の道をずっと行って、突き当たったあたりだよ」というかなりアバウトな説明を頼りに、取り敢えずは行ってみることに。どれどれ、人吉旅館前を過ぎてと・・・。確かに、その道がまっすぐに進めないぞと誰でも分かる地点まで来ると、1軒のラーメン屋があった。

11時43分である。しかし、店が開いていない。「おかしいな。人気の店なら、誰か待っていても良さそうなものだが・・・」と勘ぐる。それに、店の名前は確か『コウライ』とかなんとかでは・・・と思いながら、よく、そのラーメン屋の名前を確かめたところ、看板には「桃源」と書いてあった。このあたりで、ラーメン屋というとここしかなさそうだけどと、少し不安になってキョロキョロしたが、やはり、ラーメン屋はここ以外なさそうだった。もう、二度と来ることもないかも・・・と思うと、ちょっとしたプレッシャー(?)さえ感じる始末。

人吉10

■「好来ラーメン」の外観

ここで、新兵器登場。丁度、携帯を変えたばかりで、これに内蔵されていたGoogleマップに「好来」と入力し、検索してみたら、なんとヒットするではないか。場所は、ここではないとすぐに確認。すぐ近くのようだが、場所は明らかに違うみたいだ。時間を見る。11時50分。焦る。携帯に表示された地図を頼りに小走りに急ぐ。そして、見つけた。そのお店は、国道445号線沿いに佇む何の変哲も無いラーメン屋に見えた。

店の中を覗いてみる。小じんまりとしたお店には、テーブルが3つか4つほど。すでに、地元の人らしき方々で大盛況(?)である。「仕方ない。空くまで待つか」と外でウダウダしていたら、地元のツウらしき方が席を空けてくれ、すぐに席につくことはできた。壁に貼ってあるメニューには、「ラーメン 550円」とあるだけ。このお店の主人は凄く自信であるのか、やる気がないのかどっちなのだろうかと思った。

ラーメンを注文する。注文できるのはラーメンだけだから、当然、そうなる。ラーメンが目の前に登場すると、なんとスープは真っ黒。墨汁でも入っているのではないかと疑うほど黒い。この黒いスープの素はマー油だそうだ。このマー油こそ、好来ラーメンの個性というべきか。ニンニクと胡麻油、ラードを炊いて作ったベースがその色になるのだという。

これは、凄く濃厚なスープかなと思ったら、口にしてみると以外にあっさりとしている。味わうと、少し苦味があって、最初は「え?」という感じだが、そのちょっとした苦味が逆に食欲をそそる。このスープが絡むのが、たっぷりとした自家製麺。このコシの強い麺と黒いスープの相性はかなりイイ感じである。麺のボリュームも結構すごい。食べても食べても減らない感じがするくらい丼に盛られている。いや、詰め込まれていると言ったほうがいいかも知れない。

そのうえ、麺の上には茹でたモヤシがてんこ盛り。それに、柔らかいチャーシューが3枚。その他、見た感じはお茶漬け用の塩昆布をお湯でもどした様な野菜?茸?まさか本当に昆布ではあるまいとは思うが、何だろう?味はモヤシに近く、淡白な味わいの黒く長細い謎の食材も、モヤシと同量くらいたっぷりと入っていた。(これが何かご存知の方は、是非、教えていただきたい)

さて、「好来」というお店は、JR肥薩線人吉駅から歩いて10分くらいの人吉市下青井町というところにある。前にも触れたが、開店するやいなや、車や徒歩でひっきりなしにお客さんが訪れる。私が、訪ねた時は、殆どこの店の常連さん達で埋まっていたように思うが、遠くからわざわざこの個性的なラーメンを食べに来る人も後を絶たないという。

「好来」の営業時間は、昼11時30分から夜8時まで。定休日は、毎週月曜日。お昼前後は、ほぼ満席状態と思ったほうがよく、早めに行かれることをお勧めしたい。

(写真先頭は「好来」のラーメン)

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山よし、川よし、人も吉

人吉3

日中は30度近くにもなったというのに、朝は少し肌寒い。涼やかな空気とサラサラと流れる水の音で目覚めた。時間は朝の5時半。移動疲れと晩酌の球磨焼酎が効いて、昨晩は9時過ぎには前後不覚に陥ったようだ。電気もテレビも全部つけっ放し。おまけに酔っ払って暑かったせいか、ご丁寧に浴衣も脱ぎ捨てていた。勿論、くしゃくしゃ。そうしてみると、記憶を無くすくらい呑んでも、脱いだ衣類はキチンと畳んでいたという草なぎ剛はエライ。

清流の音に誘われて、つかの間の散策に・・・というのなら、少しは「大人だねぇ」と褒めてもらえそうだが、昨日の食べ過ぎを少しでも何とかしておこうというのが実のところ。しかし、旅館の夕食というのは、どうしてあんなにボリュームがあるのかな?今回お世話になった「人吉旅館」さんも例外ではなかった。だったら、そんなに食べなければ?と言われそうだが、普段、食べつけないものを眼前に並べられると、やっぱりねぇ・・・。そんな後だから、一夜明けての腹ごなしなんて無意味だろうとは思いながら、運動も兼ねて散歩に出ることにした。

人吉旅館から歩いて1~2分のところに、青井阿蘇神社という神社があった。やたらと「国宝」云々という幟が立っている。国宝だとすると有料かな?と思って近づいてみたが、チケット売り場らしきものは見当たらなかった。国宝がどうのこうのというのは、一体なんだと思い、境内で掃除をしていた人に尋ねてみたら、この青井阿蘇神社が昨年(平成20年)に国宝に指定されたそうで、それも熊本県では初めてのことだそうだ。

人吉市で配られているパンフレットによると、青井阿蘇神社は、大同元年(806)阿蘇三神を祭神に創建された。現存する建物は、江戸時代に再建されたものだという。中世人吉球磨地方の独自性の強い建築様式の中に、彫刻や彩色などにおいては華麗な桃山期の装飾性を入れているが特徴だそうだ。今回、国宝指定を受けたのは、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の建造物五棟などである。

特に「桃山ぶりのエッセンス」が凝縮されたと言われる楼門はなかなか趣がある。急勾配の茅葺屋根に華麗な装飾。このように洗練された建物が、都から遠く離れた山深い里に残っていること自体興味深いものがある。また、境内には樹齢数百年にもなると言われる楠の大木が並び立ち、1円玉にデザインされている「招霊木(おがたまのき)」などがある。

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■駅前にある人吉城をイメージした「からくり時計」

それから、人吉駅の方に向かってみる。昨日、人吉駅に降り立って、最初に何だろうと思ったもののところに行ってみた。それは、駅前に立つ「お城のモニュメント」か何かと思いきや、からくり時計だった。写真にも小さく写っているが、からくり時計の脇に案内板があったので、それを紹介しておく。

人吉城をイメージした「からくり時計」。殿様、庄屋どん、相良乙女、臼太鼓踊りの一団など、計十七体の人形達が民謡「球磨の六調子」をアレンジしたメロディにのって登場します。作動時間3分10秒。

因みに、このからくり時計は、午前9時から18時まで正時毎にメロディーに載せて時を報せてくれるそうだ。

人吉9

■人吉駅構内にある「人吉駅石造車庫」

人吉駅の近くには、登録文化財・近代化産業遺産・九州遺産、近現代遺産編101・Bランク近代土木遺産など数々に指定された鉄道遺産がある。人吉駅石造車庫がそれである。歴史のテイストを醸し出すというか、なんとも懐かしい雰囲気のあるこの建造物について、傍らに立てられていた案内板から拝借して、少し紹介しておきたい。

肥薩線を行き交う列車たちを整備するための車庫。国内唯一の石造鉄道車庫とされ、現役である。球磨地方には地元産の石材を活かし、肥後の石工技術を駆使した石造建造物や石蔵がたくさん残されている。石造車庫はそれらの中で最も大きく、最も古い建物とされている。

建物の特徴としては、

・妻壁に開けられた3つのアーチが建物のシンボル
・柱形(はしらがた)と連続する窓が建物に威厳を与えている。
・火山性の石(凝灰岩)が建物を頑丈にし、重厚感を与えている。
・頑強な石造りの壁に軽い屋根をのせた西洋建築の手法である。
・SLの時代を思わせる煙抜きの「こし屋根」が頂部に見える。
・建物の輪郭や窓の上下に「蛇腹」と呼ばれる段飾りがある。

人吉6

■復元された隅櫓や多聞櫓など

人吉駅から市街を抜け、球磨川に架かる「人吉橋」に。橋上で暫し佇んでみた。川面を渡る風が心地よい。遠くにかすむ山並み。ただ、眺めているだけで癒されるという感じだ。ただ、人吉橋は歩道の幅が細すぎるせいか、人が佇むと邪魔なのである。こちらが通行妨害をしているのに、自転車で通りかかる人たちはみんな「ごめんなさ~い」と声をかけてくれる。人吉の人はなんていい人達なんだろうとそんなことでさえ感心してしまう。余り、お邪魔となっても申し訳ないので、さっさと渡り終えて、そこから左に折れて川沿いを進むことにした。少しばかり行くと、何やらお城のようなものが見えてきた。

現在は、人吉市役所となっているあたりが、人吉城の大手門があったあたり。その大手門脇から多聞櫓とそれに続く長塀と隅櫓が復元されている。隅櫓は胸川が球磨川と合流する人吉城北西隅の要所に立てられた一層の櫓で、江戸時代後期には漆の貯蔵庫として使われていたそうだ。

胸川が球磨川と合流するポイントから仰ぎ見る人吉城は、復元とはいえ長塀の白い壁と石垣や櫓の黒い壁のコントラストが鮮やかだ。少し急な階段を上り下りしなければならないが、河原まで下りて眺められることをお勧めしたい。

人吉7

■人吉城跡「水の手門」付近の石垣

そこから、人吉市役所、人吉城歴史館の脇を抜けて5分ほど歩くと、人吉城跡に着く。そもそも、人吉に来るまで、「人吉にお城なんてあったんだ・・・」というくらいで、知っていることなど皆無。だから、学習かたがた人吉城のプロフィールを人吉城跡に設置されていた案内版から抜粋して、ここで紹介しておくことにする。

人吉城は、もともと平氏の代官がいた城でしたが、遠江(とうとうみ)国相良(さがら)の出身で人吉荘の地頭となった相良長頼が、建久9年(1198)に城主となり、翌年より修築したと伝えられています。その修築の時、三日月の文様のある石が出土したので、別名を三日月城あるいは繊月城(せんげつじょう)と言います。

室町時代に球磨郡を統一した相良氏は、やがて葦北・八代・薩摩方面へと領土の拡大を図り、戦国大名として発展します。しかし、天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州征服により、球磨郡地方のみを支配することになり、以後は石高22,165石の人吉藩として明治4年(1871)の廃藩置県まで存続しました。

球磨川と胸川を天然の濠とした人吉城は、本丸・二の丸・三の丸・総曲輪からなる平山城です。大手門・水の手門・原城門・岩下門によって区切られる城の周囲は、2,200メートルもあり、広大です。本丸と天守閣は建てられずに二階建の護摩堂が建てられ、二の丸と三の丸の西側麓には城主の屋敷がありました。城の周辺の総曲輪は上級武士の屋敷となり、川岸近くには役所や倉庫が置かれました。

城内の建造物は、廃藩置県の後に取り壊されて残っていませんが、保存の良い石垣が人吉城の姿を今に伝えています。

前回と今回で終了~と思っていたのに、もう十二分に原稿が長くなってしまったようだ。よって、人吉シリーズはもう1回延長としたい。では、次回。

(写真先頭は、青井阿蘇神社の楼門)

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2009年5月11日 (月)

球磨川沿いを旅する

人吉1

久しぶりに列車で旅をした。行き先は人吉。九州山地に囲まれた清流と温泉の町である。人吉までどうやって行こうか、と考えてみた。熊本県だろう。だから、熊本空港で降りて、そこからバスで熊本に出て、JRに乗って・・・というのが普通のルートかなと思った。

鹿児島空港から高速バスでというルートもあるなと思った。地図でみる限りでは、熊本空港より鹿児島空港の方が人吉に近いのではないかと思う。だが、紙のうえと現実は違うようである。鹿児島方面からの鉄道ルートはビジネスユースには全く適さない。必然的に肥薩線と平行するように山間を縫う、九州道の方に目がいく。これを使えば楽勝かと思った。がしかし、高速バスの停留所である人吉ICから人吉市内までのアクセスが余りにも悪く、これも「使えねぇ」ときた。

人吉インターから人吉駅までは、歩けないような距離でもなさそうだったが(勿論、そんなつもりは毛頭なかったが)やはり、列車で行くことにした。久しぶりに車窓でも眺めながら、ゆっくり旅しようかなという気分になった。だから、ということではないが、起点を熊本にせず、福岡空港経由で博多から出発することにした。

博多発13時30分のリレーつばめ47号は、熊本駅に14時51分の到着。つばめとの接続を僅か4分でとって、真っ赤なボディの九州横断特急3号が人吉に向けて出発する。4分間のインターバルで済むのは、つばめの着く1番線ホームの八代寄りに切り込み式ホーム0番線(A・B)があり、九州横断特急は、ここで待機しているからだ。博多でチケットを買った時、「つばめを降りて4分で大丈夫かな」とちょっと気をもんだのだが、それは杞憂に終った。

真っ赤な2両編成の特急が熊本平野を疾走する。鹿児島本線は八代まで複線になっており、列車交換でスピードダウンを強いられる単線とは違って、ディーゼル特急の走りは快調だ。ギアチェンジによって、スピードアップ時には「グン」という衝撃をたまに受けるが、乗り心地もさほど悪くない。

人吉2

それにしても、九州の日差しは強い。いつ来てもそう思う。5月は1年の内でも最も紫外線の強い季節らしいが、そのせいだけではなさそうだ。鮮やかな新緑が目に眩い。改めて、列車の旅はいいなと思う。街や川、田園地帯の中をスピードを上げて突っ走る。後ろに飛び退いてゆく家並み、遠くにかすむ山々が旅の実感を豊かにしてくれる。

八代を出るとそれまでの風景は一変する。旧鹿児島本線の肥薩おれんじ鉄道を右手に見ながら、赤い特急は山間に向けて大きくカーブを切ってゆく。しばらくすると、翡翠色の水面が右手に現れた。日本三大急流の一つ球磨川だ。これから暫くは、球磨川沿いの渓谷の風情を愉しもうかと、景観の良い方の車窓を求めて、空いた車内を右往左往(?)してみる。

途中の鎌瀬駅を過ぎると、鉄道好きには有名な球磨川第一橋梁を渡る。この橋は、明治時代にアメリカで作られたという。こんな骨董品のような橋がまだまだ現役で頑張っている。この他にも、肥薩線には開業当時そのままの風情を残す駅舎や、大正時代に作られたというレンガ造りの発電所などが残り、まるでアンティークの宝庫のようだ。

球磨川第一橋梁を渡ると、線路は球磨川の左岸に移る。必然的に車窓から見える球磨川は左手に移り、自分も進行方向に向かって左側の座席に移動した。穏やかに流れていた球磨川も、白石あたりからは早瀬が多くなり、球泉洞、一勝地付近ではこれぞ急流という顔を見せてくれる。ただ、ちょっと残念だったのは、線路に沿って張られた電線が、折角の風景を邪魔するのである。列車の車窓からは殆どが電線のある風景となるので、そういうことが気になる方にとっては、少し興ざめと映るかもしれない。

列車が終点のひとつ手前の駅、西人吉に近づくと、球磨川は線路から離れてゆく。それまでの山間の村という風景から、なんとなく町らしくなるというか、家並みという表現が許される車窓になる。人吉盆地に入ったようだ。車内に到着を告げるアナウンスが流れ出すと、人吉まであと僅かである。

(写真先頭・中間とも肥薩線の車窓から見える球磨川の風景)

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