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2009年3月

2009年3月15日 (日)

「富士」「はやぶさ」長い旅路を終えて

富士・はやぶさ1

3月14日のダイヤ改正で、東京駅をターミナルとする九州行きブルートレインは全て姿を消してしまいました。半世紀に渡って、九州各地と東京を結んできたブルートレイン。廃止が決まったのは、昨年12月のことでした。

「はやぶさ」は、「あさかぜ」「さくら」に続く第三の九州ブルートレインとして、昭和35年(1960)に登場しました。登場当時の「はやぶさ」は、電源車も含めて20系客車14両編成で東京駅と西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)を結びました。当時、「はやぶさ」は日本最長距離を走る列車であり、その走行距離は1493㎞にも及びました。

しかし、「はやぶさ」の全ての編成が西鹿児島まで行っていたかといえばそうではなく、昭和43年(1968)9月30日までは、編成の半分は博多止まりでしたし、昭和43年10月1日以降、50年(1975)3月9日までは、長崎行きの編成と併結運転をしていました。昭和50年3月10日からは、再び、行き先が西鹿児島になりましたが、編成の半分は熊本止まりというものでした。

さくら・はやぶさ

■ありし日の「さくら」「はやぶさ」(2005年2月23日撮影)

その後、利用客の減少に伴って運転区間が短縮され、平成9年(1997)11月29日からは全ての編成が熊本発着に変更されました。平成11年までは、単独の編成として運転されていた「はやぶさ」も利用者減に伴う運転系統整理により、12月4日より鳥栖駅まで「さくら」との併結運転されることになります。併結運転に伴い、それまで最低でも13両を連結していた「はやぶさ」は、24系客車9両の短編成になりました。

その後も、「はやぶさ」の流転は続きます。平成17年(2005)3月1日のダイヤ改正で、併結相手の「さくら」が廃止され、最後のランデブーの相手に「富士」が選ばれることになります。「富士」との併結運転に伴い、「はやぶさ」の編成は6両とさらに短くなり、使用車両も24系25形客車から、14系客車へと変更されました。

富士5

■深夜の岡山駅に到着した「富士」」(2004年8月16日撮影)

「富士」は、日本を象徴する伝統の列車愛称であるがゆえに、もっと早くネーミングされていても良さそうですが、いろいろな思惑から温存され、東京発九州行きブルートレインとしては、最後発の列車の愛称となりました。「富士」は、昭和38年(1963)に運転が開始された「みずほ」の大分行きの編成を引き継ぎ、昭和39年(1964)に日豊本線経由の寝台特急として登場します。発足当時の「富士」は、電源車も含めて20系客車14両編成で東京駅と大分駅を結びました。発足当時の「富士」の大分駅乗り入れ編成は従来の「みずほ」と同じく8両で、残りの6両は下関止まりでした。

その翌年の昭和40年(1965)10月1日のダイヤ改正で、「富士」の運行区間は、日豊本線経由で西鹿児島駅まで延長されます。これにより「富士」は「はやぶさ」を抜き、1574.2㎞を24時間以上かけて走る日本最長運転のブルートレインになりました。因みに、この記録は当時、同区間を運転されていた急行「高千穂」とならび、定期旅客列車の最長運転の日本記録になるそうで、昭和55年(1980)10月1日に「富士」が宮崎駅まで運転を短縮して以来も、破られていません。

先程、「富士」の運行区間は西鹿児島駅までといいましたが、全ての編成が西鹿児島駅まで行っていた訳ではありません。やはり、「はやぶさ」と同様に編成の半分は大分駅止まりとなっていました。平成2年(1990)3月に、ターミナル駅が宮崎駅から南宮崎駅へと一駅だけですが延長されます。しかし、運行区間の延長はそれが最後で、平成9年(1997)11月29日には、全ての編成が大分発着に短縮されました。

しかし、この年に「さくら」と併結運転となり、短編成化された「はやぶさ」とは異なり、「富士」はその後も電源車を加えて10両以上の堂々たる編成で運転が継続されました。「富士」は登場も最後でしたが、単独運行の九州ブルートレインとして、最後まで気を吐きつづけます。しかし、先程、「はやぶさ」のところでもふれたように、平成17年(2005)3月1日の「富士」「はやぶさ」の併結運転開始にともない、「富士」の編成も6両と短くされ、「はやぶさ」と同様に使用車両も24系25形客車から、14系客車へと変更されました。

富士・はやぶさ2

■長い編成を率いて東京駅に到着した「富士」「はやぶさ」

「富士」「はやぶさ」を牽いたのは、高速貨物機として製造されたEF66形で、東京~下関間の直流区間を担当しました。このEF66形がブルートレイン牽引機になったのは、昭和60(1985)年からで、どちらかと言えば、寝台特急の黄金期を過ぎた頃からでした。これに比して、ピーク時にその先頭に立っていたのは、EF65形500番台でした。

EF65形500番台は20系客車を牽引するために必要な装置・機器を搭載して、本来、貨物用として作られたEF65形を旅客用にしたものです。旅客用のEF65形は、初代のP形、重連総括制御用機器・装置を搭載したF形、F形を基本に貫通扉を付け耐雪耐寒装備を強化するなどの改良を加えた1000番台(PF形)が作られました。その他、直流区間以外では、関門トンネル専用機のEF81形が先頭に立ち、鹿児島本線や日豊本線ではED76形などの交流機が牽きました。

はやぶさ1

■熊本駅で発車を待つ「はやぶさ」(2008年2月22日撮影)

富士1

■東京駅で発車を待つ「富士」

ブルートレインの歴史は、昭和33年(1958)、東京と博多を結んだ「あさかぜ」に始まります。国鉄初の冷暖房完備の車両、豪華な食堂車が用意され「動くホテル」と呼ばれました。最盛期には、一晩に合わせて上下50本近い列車が、全国を行き交いました。集団就職にも使われ、日本の高度成長の一翼を担ってきたブルートレイン。進学、就職、結婚、ブルートレインは、人生の岐路に立った人たちを乗せて走り続けてきたのです。

しかし、時代の流れには抗うことは難しく、新幹線や飛行機、あるいは運賃の安い高速バスなどに押され、乗客の数は減り続けてきました。東京と九州各地を結んだブルートレインも、平成6年(1994)には、九州行きブルートレインの中でも名脇役的存在だった「みずほ」が廃止され、平成17年(2005)には、ブルートレインの代名詞ともいえる「あさかぜ」と「さくら」が廃止されました。こうして平成21年(2009)には「富士」「はやぶさ」も廃止され、東京駅を発着するブルートレインはついに姿を消してしまいました。

この3月のダイヤ改正後、全国に残る客車寝台特急は全部で6種類6編成になりました。それを列挙すると、日本海(大阪―青森)、トワイライトエキスプレス(大阪―札幌)、北陸(上野~金沢)、北斗星(上野―札幌)、あけぼの(上野―青森)、カシオペア(上野―札幌)ですが、残る列車たちの存在も磐石とは言えず、去就が注目されます。

(写真先頭は、長い旅路を終えて東京駅に着いた「ふじ」「はやぶさ」

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2009年3月11日 (水)

さらば九州ブルートレイン

富士・はやぶさ3

博多発7時56分発、「ひかり446号」に乗って小倉まで行き、そこから8時12分発の鹿児島本線準快速で門司に向かう。しかし、改めて思うに新幹線は速い。博多と小倉の間を僅か17分で結ぶのだから。同一区間の在来線を走る特急ソニックの最速列車で40分、ブルートレインに至っては、1時間以上もかかる。旅の意味にスピードを求めるなら、新幹線を選択するのは至極当然のこと。そんなことをつい思ってしまう。

今日は平日だからか、門司駅で「富士」「はやぶさ」を待つギャラリーはそれほど多くない。到着まで30分余りの門司駅4番線ホームには、約20名くらいの人たちが、思い々々のポジションに佇み、列車の到着を待っていた。人数もさほどでもなし。東京駅で待つファンの殺気に満ちたオーラに比べれば、至ってのん気なもの。最初はそんな具合だった。

しかし、列車到着の時間が迫ってくるにつれて、だんだんとギャラリーの数が増える、それに伴って、人々の動きも活発になる。少しでもいい撮影ポイントを求めるためだ。こうしている内に、8時46分が近づく。「間もなく列車が到着します。危ないですから、白線の内側まで下がってお待ちください」というアナウンスがホームに流れ出すと、それまでの空気とは一変し、それなりの緊張感に包まれた。

しばらくすると、関門トンネルの方角からローズピンクの機関車がまるでせり上がってくるように、近づくのが見えた。関門トンネル専用機のEF81だ。寝台特急であることを示すヘッドマークは掲げられていない。下関-門司の短区間においては、昭和59年2月から約2年間、やはり関門トンネルの特殊区間専用機であったEF30が、一時、ヘッドマークを掲げていたようだが、それ以来はないのである。

富士・はやぶさ4

■ホームの先端で行われる機関車の切離し作業を見ようと集まった人、人

4番線ホームの関門トンネル側で、EF81の到着を出迎えた後、小走りで前方に移動する。急いで前方に行くのは、ホームにいる人たちだけかと思ったら、全然違った。車両のドアが開くと、老若男女が入り乱れて、一斉に駆けてゆく。とにかく凄い人。それに迫力。こちらが、機関車のところに到着した頃には、もう人だかりで、機関車の切り離し作業など見られるような状況ではなかった。

そのうえ、機関車は、ホームの先端近くに設置されている金属製の柵の前方に停まるため、前面が見えないということが分かった。これでは、単独のヘッドマークが拝めないと考えて、向い側の5番線ホームから撮影をすることに決めた。向い側の5番線ホームは、4番線ホームから徐々に乖離してゆくようにカーブを描いているので、被写体は少しばかり小さくなるかも知れない。ただ、5番線ホームにはギャラリーが少なく、今、移動すればお好みのアングルで取れるかなと思った。

実際に、5番線に行ってみて、ギャラリーが少ない理由が分かった。信号機と大きな木が思いっきり邪魔をして、機関車の真ん中をぶった切ってくれたからである。「あちゃ~」とは思った。しかし、これから4番線ホームにリターンしても、良好なポジションを確保するなど、無理のまた無理。そんなことは、向い側のホームから見ていれば一目瞭然だった。

はやぶさ0

■熊本までの牽引機がしずしずと近づく

そうこうしている内に、前後両面にヘッドマークを掲げたED76が操車係に導かれて、しずしずと青い客車に接近し連結された。「これが、最後のはやぶさのショットかぁ・・・」。デジカメのディスプレイで確認した画像は、赤い電気機関車と青い客車が連結され、ヘッドマークは何とか見える。ただ、機関車の真ん中を信号機とでかい木で見事にちょん切られ、なんとも情けない出来栄えだった。しかし、どうしようもない時間は無情にも流れ、8時59分。寝台特急「はやぶさ」は熊本に向けてゆっくりと出て行った。

富士2

■「はやぶさ」を見送った後、発車を待つ6両編成の「富士」

「はやぶさ」が発車した後の、4番線ホームには6両の「富士」が取り残されていた。編成が半分になったので、撮影環境も多少改善するかと思ったが、相変わらず、結構な人数が待ち構えていたので、引き続き5番線ホームから「富士」を狙うことにした。

富士3

■大分までの牽引機が連結された「富士」。単独のヘッドマークが誇らしい

9時ちょっと過ぎに、ここから大分まで「富士」を牽くED76が、誘導されて14系15形の青い車体に近づく。「富士」の牽引機の連結は、4番線ホームのだいたい真ん中くらいで行われるので、撮影するポジションとしては、何の問題もなかった。ここで、数枚ほど「富士」をカメラに収めてから、ダメ元で4番線ホームに戻ってみた。「富士」については、機関車が連結されてから、発車まで少し余裕があることと、乗客として乗ってきたギャラリーを「はやぶさ」が半数くらい運んでくれたせいであろうか、発車間近の4番線ホームの込み具合は、全く機関車に近づけないというほどではなく、なんとかED76に近づいて、その姿をカメラに収めることが出来た。

9時10分、少し長めのホイッスルを鳴らし、大分に向けて「富士」は発車していった。こうして、自分にとって見納めになるであろう「富士」を見送った。しばらくすると、ブルートレインが発車するまでの喧騒はどこへやら、発車から5分も経つといつもの門司駅に戻っていた。

出張帰りを利用した「富士」「はやぶさ」見納めツアーは、そもそもこれで終るはずだった。というのも、博多~門司間の旅費は自腹につき、門司から博多までの帰路は普通列車を利用して、旅費の節約を図るつもりだった。だが、「はやぶさ」の撮影がうまくいかなかったこともあり、帰路に利用する予定だった9時17分発鳥栖行きの普通電車の中で「はやぶさ」の博多着の時間を探ってみた。「はやぶさ」の博多着は10時10分だった。

はやぶさ3

■博多駅2番線ホームに進入する「はやぶさ」

そこで、しばし考えた。新幹線を使えば、博多でひょっとして間に合うかも知れない・・・。再び路線探索サイトで検索したところ、小倉9時40分発の「こだま」で追いかけても、余裕で先回りできると分かった。であるなら、「まぁ、最後だから」と特急券代をケチるのはやめにして、「はやぶさ」を追っかけることにした。こうして、博多駅の2番線ホームに進入する「はやぶさ」をなんとか捉えることが出来た。そのうえ、博多駅の2番線ホームの前方にも回りこんで、ギャラリーでごった返す中、停車中の「はやぶさ」の面をなんとかカメラに収めることもできた。

さて、昨年の同じ時期、「なは」「あかつき」の見納めツアーを敢行した。そのときに比べて、時期が押詰っていたせいか、それとも、いよいよ九州でのブルートレインの見納めだからなのか、ギャラリーの数はその時の比ではなく、かなりのものだった。今後残るブルートレインは、北斗星(上野-札幌)をはじめ4編成のみ。ますます希少化するブルートレイン。そうすると、ギリギリになっての見納めツアーはこのあたりで終わラストせざるをえないかも・・・。

(写真先頭は、門司駅に侵入するEF81牽引の「富士」「はやぶさ」)

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2009年3月10日 (火)

さよなら『はやぶさ』

はやぶさ2

熊本駅

昨年の12月19日だったか?JRグループの3月ダイヤ改正に併せて、ブルートレイン「富士」「はやぶさ」が本当に廃止されるらしいというニュースを耳にしてガク然としたのは。時代の流れといえばそれまではあるが、昨年の「なは」「あかつき」に続き、こうも早く九州ブルートレインが姿を消してしまうのは寂しい限りだ。

これだけ旅に出ていれば、3月までには一度くらい九州に行く機会もあるだろうと思っていたら、あっと言う間に3月になった。廃止されるまでに、なんとか「富士」「はやぶさ」に乗り込むチャンスはないものかともがいてみたが、流石にそれは実現できなかった。

だったら、せめて最後の勇姿を見ておきたいと思い、3月10日の午後から急遽、熊本に飛ぶことにした。しかし、この週のスケジュールはタイトだった。9日の月曜日は丸1日錦糸町での仕事、12日の木曜日はオフィスで外せない会議。13日の金曜日は多分、横浜で丸1日拘束される・・・ハズ・・・だから、ここに日程をこじ入れるしか手がなかった。そんな窮屈な日程にも拘わらず熊本に来たのである。ちょっとばかり、先方に無理を聞いてもらうことにはなった・・・みたいだが。

午後8時半過ぎ、豊肥本線の2両編成の電車で熊本駅に着いた。新幹線工事の関係だろうか、改札などのレイアウトが以前より、ずいぶん変っているように感じられた。そして、コンコースに数多く吊るされた、さよなら『はやぶさ』のペナントがいやおうなしに目に入る。いよいよ九州最後の寝台特急にとっての、ラストウイークが来たことを告げるように。

寝台特急「富士」(大分―東京)とともに「はやぶさ」(熊本―東京)が、3月14日のダイヤ改正で半世紀近い歴史に幕を下ろす。今週は、九州ブルートレインの最後に寄せて、いくつか投稿しようと思う。

(写真上は、さよなら『はやぶさ』のペナント)

(写真下は、熊本駅コンコースに吊るされた数多くのペナント)

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