「富士」「はやぶさ」長い旅路を終えて
3月14日のダイヤ改正で、東京駅をターミナルとする九州行きブルートレインは全て姿を消してしまいました。半世紀に渡って、九州各地と東京を結んできたブルートレイン。廃止が決まったのは、昨年12月のことでした。
「はやぶさ」は、「あさかぜ」「さくら」に続く第三の九州ブルートレインとして、昭和35年(1960)に登場しました。登場当時の「はやぶさ」は、電源車も含めて20系客車14両編成で東京駅と西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)を結びました。当時、「はやぶさ」は日本最長距離を走る列車であり、その走行距離は1493㎞にも及びました。
しかし、「はやぶさ」の全ての編成が西鹿児島まで行っていたかといえばそうではなく、昭和43年(1968)9月30日までは、編成の半分は博多止まりでしたし、昭和43年10月1日以降、50年(1975)3月9日までは、長崎行きの編成と併結運転をしていました。昭和50年3月10日からは、再び、行き先が西鹿児島になりましたが、編成の半分は熊本止まりというものでした。
■ありし日の「さくら」「はやぶさ」(2005年2月23日撮影)
その後、利用客の減少に伴って運転区間が短縮され、平成9年(1997)11月29日からは全ての編成が熊本発着に変更されました。平成11年までは、単独の編成として運転されていた「はやぶさ」も利用者減に伴う運転系統整理により、12月4日より鳥栖駅まで「さくら」との併結運転されることになります。併結運転に伴い、それまで最低でも13両を連結していた「はやぶさ」は、24系客車9両の短編成になりました。
その後も、「はやぶさ」の流転は続きます。平成17年(2005)3月1日のダイヤ改正で、併結相手の「さくら」が廃止され、最後のランデブーの相手に「富士」が選ばれることになります。「富士」との併結運転に伴い、「はやぶさ」の編成は6両とさらに短くなり、使用車両も24系25形客車から、14系客車へと変更されました。
■深夜の岡山駅に到着した「富士」」(2004年8月16日撮影)
「富士」は、日本を象徴する伝統の列車愛称であるがゆえに、もっと早くネーミングされていても良さそうですが、いろいろな思惑から温存され、東京発九州行きブルートレインとしては、最後発の列車の愛称となりました。「富士」は、昭和38年(1963)に運転が開始された「みずほ」の大分行きの編成を引き継ぎ、昭和39年(1964)に日豊本線経由の寝台特急として登場します。発足当時の「富士」は、電源車も含めて20系客車14両編成で東京駅と大分駅を結びました。発足当時の「富士」の大分駅乗り入れ編成は従来の「みずほ」と同じく8両で、残りの6両は下関止まりでした。
その翌年の昭和40年(1965)10月1日のダイヤ改正で、「富士」の運行区間は、日豊本線経由で西鹿児島駅まで延長されます。これにより「富士」は「はやぶさ」を抜き、1574.2㎞を24時間以上かけて走る日本最長運転のブルートレインになりました。因みに、この記録は当時、同区間を運転されていた急行「高千穂」とならび、定期旅客列車の最長運転の日本記録になるそうで、昭和55年(1980)10月1日に「富士」が宮崎駅まで運転を短縮して以来も、破られていません。
先程、「富士」の運行区間は西鹿児島駅までといいましたが、全ての編成が西鹿児島駅まで行っていた訳ではありません。やはり、「はやぶさ」と同様に編成の半分は大分駅止まりとなっていました。平成2年(1990)3月に、ターミナル駅が宮崎駅から南宮崎駅へと一駅だけですが延長されます。しかし、運行区間の延長はそれが最後で、平成9年(1997)11月29日には、全ての編成が大分発着に短縮されました。
しかし、この年に「さくら」と併結運転となり、短編成化された「はやぶさ」とは異なり、「富士」はその後も電源車を加えて10両以上の堂々たる編成で運転が継続されました。「富士」は登場も最後でしたが、単独運行の九州ブルートレインとして、最後まで気を吐きつづけます。しかし、先程、「はやぶさ」のところでもふれたように、平成17年(2005)3月1日の「富士」「はやぶさ」の併結運転開始にともない、「富士」の編成も6両と短くされ、「はやぶさ」と同様に使用車両も24系25形客車から、14系客車へと変更されました。
■長い編成を率いて東京駅に到着した「富士」「はやぶさ」
「富士」「はやぶさ」を牽いたのは、高速貨物機として製造されたEF66形で、東京~下関間の直流区間を担当しました。このEF66形がブルートレイン牽引機になったのは、昭和60(1985)年からで、どちらかと言えば、寝台特急の黄金期を過ぎた頃からでした。これに比して、ピーク時にその先頭に立っていたのは、EF65形500番台でした。
EF65形500番台は20系客車を牽引するために必要な装置・機器を搭載して、本来、貨物用として作られたEF65形を旅客用にしたものです。旅客用のEF65形は、初代のP形、重連総括制御用機器・装置を搭載したF形、F形を基本に貫通扉を付け耐雪耐寒装備を強化するなどの改良を加えた1000番台(PF形)が作られました。その他、直流区間以外では、関門トンネル専用機のEF81形が先頭に立ち、鹿児島本線や日豊本線ではED76形などの交流機が牽きました。
■熊本駅で発車を待つ「はやぶさ」(2008年2月22日撮影)
■東京駅で発車を待つ「富士」
ブルートレインの歴史は、昭和33年(1958)、東京と博多を結んだ「あさかぜ」に始まります。国鉄初の冷暖房完備の車両、豪華な食堂車が用意され「動くホテル」と呼ばれました。最盛期には、一晩に合わせて上下50本近い列車が、全国を行き交いました。集団就職にも使われ、日本の高度成長の一翼を担ってきたブルートレイン。進学、就職、結婚、ブルートレインは、人生の岐路に立った人たちを乗せて走り続けてきたのです。
しかし、時代の流れには抗うことは難しく、新幹線や飛行機、あるいは運賃の安い高速バスなどに押され、乗客の数は減り続けてきました。東京と九州各地を結んだブルートレインも、平成6年(1994)には、九州行きブルートレインの中でも名脇役的存在だった「みずほ」が廃止され、平成17年(2005)には、ブルートレインの代名詞ともいえる「あさかぜ」と「さくら」が廃止されました。こうして平成21年(2009)には「富士」「はやぶさ」も廃止され、東京駅を発着するブルートレインはついに姿を消してしまいました。
この3月のダイヤ改正後、全国に残る客車寝台特急は全部で6種類6編成になりました。それを列挙すると、日本海(大阪―青森)、トワイライトエキスプレス(大阪―札幌)、北陸(上野~金沢)、北斗星(上野―札幌)、あけぼの(上野―青森)、カシオペア(上野―札幌)ですが、残る列車たちの存在も磐石とは言えず、去就が注目されます。
(写真先頭は、長い旅路を終えて東京駅に着いた「ふじ」「はやぶさ」
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