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2008年10月

2008年10月28日 (火)

桜島って十七変化?

桜島8

東洋のナポリとも呼ばれる鹿児島。鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観が、ナポリからベスビオ火山を望む景観に似ていることから、そう呼ばれるらしい。らしいとしか言いようがないのは、小生はナポリに行ったことがないので・・・。

ナポリが出たので、ついでに言っておくが、地形が似ているということから、鹿児島市とナポリ市は姉妹都市提携をしているそうだ。だから、それを記念して、鹿児島中央駅前の通りに「ナポリ通り」というネーミングのストリートがあったりする。さらには、パース通りとかマイアミ通りとかいうのもあって、これらの都市とも姉妹都市になっているそうだ。もっと言うなら、ナポリとかマイアミには鹿児島通りが、パースには鹿児島公園があるそうだ。そのうえ・・・と続けたいところだが、蛇足なのでこのあたりでやめる。

さて、今回のテーマは桜島である。鹿児島のシンボルとも言われる桜島は、よほど高いビルにでも遮られない限り、市内の随所から望むことができる。活火山でもある桜島は、風向きによっては降灰をもたらし、また、空気中に漂う火山灰のせいで洗濯物を黒く染めてしまうなど、市民生活になんらかの影響を与えている。そのようなこともあってか、鹿児島の天気予報には、「桜島上空の風向き」という他の地域にはない情報が流される。

話は変わるが、例年に比べて今年は、何故か鹿児島に来ることが多かった。ただ、鹿児島市内から桜島に渡り、そのうえ一巡りして帰って来るというのは、出張のついでに・・・という、自分達の旅スタイルからすると、ちょっと厳しいかもしれない。なぜなら、往復で半日くらいはかかると見込んでおかなければならないからで、時間的な制約から、従来の出張においては、城山展望台から眺める、「いつもの桜島」で済ませるしかなかった。

その程度の桜島観光でお茶を濁していたのだが、今回の日程では、先方の都合で(あくまでも先方の都合で・・・)午前中の日程が、すっぽり空いてしまった。すっぽり空いたからには、これを無為に過ごすことはあるまいという結論に達し、出張二日目の午前中は桜島巡りをすることに決めた。それで、どこからスタートするかと考えた。いつもの城山展望台では芸がないので、小原庄助を気取ってという訳ではないが、朝風呂から望む桜島からスタートすることにした。

桜島1

■城山観光ホテルのさつま乃湯から望む櫻島

その場所はどこかというと、モノレールを使って羽田に向かうことを常としている人なら、「ああ・・・」とすぐ思い浮かぶ、あそこの湯からである。それは、城山観光ホテルにある「さつま乃湯」。温泉に憩うご婦人方のバックに、少し噴煙を上げる桜島。それが大きなパネルとして掲げられているので、ご覧になったことのある方もおそらく多いのではないかと思う。

ちなみに、さつま乃湯には、城山観光ホテルの宿泊者なら誰でも、無料で入浴できる。宿泊料が1万円くらいのビジネスパックで宿泊すると、部屋のサイズに比して、ベッドがデカすぎるので、通路側から窓側への移動がなかなか難しい(カニ歩きではないと行けない)という難点はあるが、グレードの高いサービスと設備、さらに露天風呂に浸かりながら眺める雄大な桜島が、そんな些細なことは忘れさせてくれる。

さて、お風呂ばかりに浸かっていても仕方がないので外に出よう。桜島に行くには、フェリーに乗らなければならない。因みに、桜島は島とはいえ、現在は大隈半島と繋がっている。だから、垂水市の早崎地区というところから、国道220号線と224号線を経由して、車でも入ることができる。時間的に余裕があるのなら、ドライブがてらそれもよいかも知れないが、時間的にも経済的にもフェリーを使うことをお薦めする。

桜島2

■錦江湾上で、桜島港からのフェリーとすれ違う

フェリーは、鹿児島港桜島ターミナルと桜島港との間を15分で結んでいる。なお、このフェリーは民間の運営ではなく、鹿児島市営で、驚いたことに24時間営業である。陸続きにもなっているので、なぜ24時間営業となっているのは分からないが、人口5700から800人くらいの島に、頻繁にフェリーを往復させるのは、それ相応の理由があるのだろう。

フェリーに乗って桜島に着いたまではよいが、島内でどのように行動するか全く考えていなかったので、少しこまった。というのも、島に着いたら、観光バスとか路線バスとかそれなりにあるのだろうと考えていたが、それは大きな間違い。路線バスは本数が少なく。観光には不向きであることが判明。さらに、観光バスは、桜島港を出発する時間が早い。ついでに言っておくと、主だった観光バスは、桜島港ではなく、例えば、JR鹿児島中央駅前あたりから出発するので、そのあたりは事前にチェックしておいた方がよいだろう。

とはいえ、とにかく来てしまったからには、どうにかしなければならない。それで、伊良部島に渡った時のように、観光タクシーでもと考えてあたってみたが、島一周の料金が9000円くらいかかるというので、パスすることにした。他の手段が何かないかと探していたら、レンタサイクルという看板があって、どうもそこにレンタカーがあるらしいということが分かった。

レンタカーは流石に高いのではないかと思ったが、そこの店主と奥方によれば、軽自動車で2時間、4500円だという。今回も相方がいたので、一人当たりにすると2000円ちょっとになる。という流れで、レンタカーを借りることにしたが、肝心の軽自動車が全部出払っていた。しばらく、躊躇していたところ、店主から「軽と同じでいいから」と普通車を勧められた。こちらにとってはラッキー、お店も車を遊ばしているよりは・・・という判断からか、ともかく、レンタカーは確保できたので、店主と奥方から教えてもらったルートに沿って、島を一巡りすることにした。

桜島3

■湯之平展望所の記念碑と北岳

桜島4

■湯之平展望所より、錦江湾ごしに鹿児島の市街を望む

まずは、定番の湯之平展望所に向かう。湯之平展望所は桜島中岳中腹の373mのところ、中岳の標高が1040mなので、だいたい4合目くらいにある展望所である。展望所までは、桜洲小学校のある小池町あたりから山道を登っていく。車でもなければ、ちょっときついのではないかという勾配だが、普通のレンタサイクルで登っていると思われるご婦人がいた。道が分岐するところに立って、額に手をかざしながら、微動だにしていなかったので、最初、何らかの案内板かと見間違ったくらいだが、多分板ではなかったように思う。それでも、やっぱり見間違いかな?と首を捻りながら、しばらく進むと桜の花びらのような屋根のある展望所に着いた。

まずは、霧島屋久国立公園「桜島」湯之平展望所の文字が溶岩に刻まれた記念碑とともに、北岳の威容を仰ぎ見る。北岳は標高こそさほど高くもないのに、途中から植生が途切れている。流石に活火山だなという印象を受ける。

北岳の見える反対側からは、真っ青な錦江湾を挟んで、鹿児島の市街地が見える。右手に回り込めば大隈地方、左手には開門岳まで一望できる。因みに、ここから、見る夜景もなかなかのものらしい。同じ展望台にいながら、一方では穏やかな錦江湾が望めて、その反対側では荒涼とした火山の風景が広がる。ここ湯之平展望台は、まさに桜島観光の定番スポットといえる。

桜島5

■溶岩原ごしに望む櫻島(烏島展望所)

桜島には、数々の噴火の歴史があるが、その一つに「文明大噴火」というのがある。フリー百科事典ウィキペディアによれば、1471年(文明3年)9月12日に大噴火が起こり、北岳の北東山腹から溶岩が流出し、死者多数との記録がある。2年後の1473年にも噴火があり、続いて1475年(文明7年)8月15日には、桜島南西部で噴火が起こり、溶岩(文明溶岩)が流出した。さらに、翌1476年(文明8年)9月12日にも、桜島南西部で噴火が起こり、死者多数を出し、沖小島と烏島が形成されたという。

こうして、形成された烏島であったが、1914年の大正大噴火で呑み込まれ、完全に埋没したそうだ。湯之平展望所を下りて、次に訪れた烏島展望所にはこんな歴史があった。現在は、大正溶岩と呼ばれる溶岩原の一部になっている烏島展望所は、昔は島だったと思うと、その噴火の凄まじさに驚くばかりである。

桜島7

■島の反対側に回ると、桜島も違った表情を見せる(有村溶岩展望所)

烏島展望所を後にして、大隈半島と桜島の接合部の方に向かいながら、その途中で有村溶岩展望所に寄ってみた。有村溶岩展望所は、桜島の南側の有村崎の付け根にある展望台で、1946年(昭和21年)の南岳東側中腹の大爆発で流出した昭和溶岩流で誕生した小高い丘にある。ここで、仰ぎ見る桜島は、鹿児島市内から見える桜島とは少し趣が違うようだ。こうして、ぐるりと桜島を巡ってみると、同じ桜島なのにいろいろな表情を持っていることに気づく。

有村溶岩展望所の周囲には、全長1kmに及ぶ溶岩遊歩道も整備され、錦江湾や南岳を眺めながら、溶岩原を散策できるらしいが、レンタカー店の情報によれば、遊歩道に入って時間を費やしてはいけないとのことで、10分くらいの滞在でここを後にした。

桜島7

■大正大噴火の猛威を後世に伝える黒神埋没鳥居

途中で、「放浪記」で有名な女流作家・林芙美子の文学碑に立ち寄りつつ、桜島巡りツアーの最終目的地である黒神埋没鳥居を目指す。桜島東岸の道路脇にある埋没鳥居は、桜島噴火の猛威を後世に伝えるために、発掘を中止し、そのままの姿でとどめられている。鳥居の高さは見当がつくと思うが、これがここまで埋まるかと思うと、噴火による火山灰がいかに凄かったかが分る。この道端にある埋没鳥居の横には、黒神元気塾という小さな資料館があった。そこには、大正大噴火の猛威を伝えるパネルやもうもうと噴煙を吹き上げる桜島の写真などが掲示してあった。久しぶりに、そのパネルをここで紹介しようかとも思ったが、今回の原稿がもう十分すぎるくらい長くなったので、やめることにした。興味のある方は、やはり現地で見てほしい。

こうして、桜島をぐるりと巡るツアーを終えて、桜島港に戻ってきたら、図らずも丁度2時間が経過していた。桜島港から離れるフェリーから、遠ざかる桜島を見ていたら、朝方の逆光に浮かぶ桜島とはまた違い、まるで、SF映画のエンディングのシーンにでも出てくるような、火山島風の桜島がそこに浮かんでいた。

大和撫子七変化ではないが、この桜島も「1日のうちにその姿を七色に変える」と言われている。「七色」というのは、多分、一日の中でも、光の具合によっていろいろな色に違って見えるということなのだろう。ただ、最近の大和撫子(?)は、十七変化するみたいだから、七色くらいでは驚かないか。ま、これも蛇足かも知れないが・・・。

ある時は、火山灰を撒き散らす迷惑な山かも知れないが、鹿児島には桜島がよく似合う。その時々の天気や時間によっていろいろな表情を見せるこの島は、とにもかくにも鹿児島の人たちの生活やリズムに溶け込んでいる。心のふるさととも言われる所以はそのあたりにあるのだろう。雄大な桜島と青い錦江湾の海、鹿児島を離れて間もないのに、また会いにゆきたい。

(写真先頭は、帰りのフェリーから望む順光の桜島)

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2008年10月17日 (金)

あ、そっ

阿蘇1

「ジャネーの法則」というのをご存知だろうか?フリー百科事典「ウィキペディア」によれば、19世紀のフランスの哲学者であるポール・ジャネが発案し、甥の心理学者ピエール・ジャネが著作で紹介したもので、主観的に記憶される年月の長さは、年少者には長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に解明した法則のことらしい。まぁ、そんなに小難しく考えなくても、年をとるにつれて、1年がだんだん早く感じられるようになるというアレのことですよ。

しかし、この頃になるといつも感じることだが、本当に月日が過ぎるのは早い。あっという間に10月になっていると感じる訳だから、この前の原稿を書いてから、1ヶ月・・・なんてのも、すぐ過ぎている。1週間に1本くらいのペースで更新するぞ・・・な~んて気持ち的にはあるのだが、どうも実践が伴わない。クリエイト(?)の道はなかなか困難で、実行は儘ならない。そうしたいのはヤマヤマなのではあるが・・・。

阿蘇

■阿蘇熊本空港に降下する飛行機からは阿蘇全景が望める(11月10日追加)

ヤマヤマにひっかける訳ではないが(と言いつつ思いっきりひっかけているのだが)、うん十年振りに阿蘇に行ってきた。一口に阿蘇とは言うものの、阿蘇に来て、まず感じたのは「阿蘇山ってどこ?」ということ。大抵の山というのは、名前とイメージとはほぼ一致するように思うが、阿蘇山はそうではないみたいだ。どこからどこまでが阿蘇山と、はっきり分からないくらい広範囲に及ぶ。つまり、厳密に言うなら、阿蘇山という名称はなく、阿蘇五岳と呼ぶのが正しいそうだ。ちなみに、阿蘇五岳とは、中央火口群の根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳の五つの山を指す。

その中でも阿蘇観光の目玉として、やはり中岳の火口は外せない・・・と最大公約数的に考えて、我々もそう動いた。熊本市内からパノラマライン坊中線を経由して、車で山上広場まで行き、そこから阿蘇山ロープウェーに乗った。後から考えれば、現在は阿蘇山有料道路というのがあるので、別に乗り換えなくても、車で火口近くまで行った方が早かった・・・とは思ったものの、つい昔のくせ(?)で、条件反射的にロープウェーのチケット(往復で1000円也)を買ってしまった。

91人乗りだというので、ゴンドラとしては大きいタイプのものだと思うが、乗り場に連なるすごい人数の列を見て、1便見送ることにした。15分おきの運行なので、騒々しい団体客を先に行かせて、次の空いているものと推定される便に乗ろうと考えたのだ。しかし、山の上から降りてきたおびただしい人の数を目の当たりにして、思わず呻ってしまった。目論見は見事に外れ、案の定というかなんというか、自分たちの乗った便は、見送った便に勝るとも劣らないくらいの乗客でごった返した。

阿蘇4

■阿蘇山西駅を出発して暫くすると荒涼とした風景が広がる。その彼方に烏帽子岳が望める

ところで、阿蘇山ロープウェーというのは、1958年(昭和33)に世界で初めて活火山に架けられたロープウェーとして誕生したそうだ。阿蘇山西駅から火口縁の阿蘇山上駅まで、高低差108mを所要時間4分で結んでいる。ゴンドラの窓からは、ごつごつとした溶岩の広がる荒涼とした風景と雄大なカルデラを見下ろすことができる。発車から終点駅まで、ほんの僅かな時間だが、今は大半が外国からの観光客だからか、中国語やら韓国語が飛び交うゴンドラ内でインターナショナルな雰囲気を味わってみるのも一興だろう。

中国語やら韓国語と言ったが、ロープウェイ乗場でもうひとつ気づいたことがある。それは、案内ボードのことで、案内ボードというのは、「火口周辺では、火山ガスが流れているので、喘息の方とか心臓の悪い人は登山をしてはいけません」などと告知しているアレのことである。

日本語は当然として、英語、韓国語(ハングル文字)の他に、漢字で書かれたものが二つ掲げられていた。どうして、漢字のものが二つあるのあろうと不思議に思い、待ち時間の間見比べていたら、漢字の字体や表記の仕方になんとなく違いがあるのが分かった。「どうして漢字のものが2種類も?」というのが疑問で、帰って調べてみたところ、その内の一つが繁體字(はんたいじ)で書かれているということが分かった。

繁體字というのは、日本風に言うなら「旧字体」にあたるらしく、主に台湾や香港、マカオで使われているようだ。そして、もうひとつの字体を簡体字という。簡体字は、大陸において繁體字が省略され、規範漢字として使われるようになったもので、中華人民共和国、シンガポールで正式に採用されている。

ちょっと前までは、案内板の表記や車内アナウンスなどは、日本語の他は英語くらいしかなかった(と思う)が、アジアに近い九州では、韓国語や中国語はもう当たり前のようになっている。日本の観光地などは、近い将来、外国のお客さんなしでは成り立たなくなるんじゃないかと、5枚も掲げられた案内板を見ながら、ふとそんなことを思った。

阿蘇2

■中岳火口縁近くにある「阿蘇中岳火口周辺案内図」

ロープウェイを降りて、中岳火口に登る。登るとは言ったが、阿蘇山上駅から火口縁までは4、5分も歩けばたどり着く。流石に火口に近いせいか、硫黄のにおいが強い。駅から火口までの道すがら、妙な建物群に出くわす。この妙な建物は退避壕で、突然の噴火に備えて設置されている。こんなことからも、阿蘇が生きている山なんだなと実感できる。

噴煙の見える方を目指して行くと、まるで大きなクレーターのような火口が見えてくる。ところで、中岳には7つの噴火口があり、白い噴煙を噴き上げている中岳第一火口は、直径600m、深さは130mもあるのだそうだ。それと、火口の底に何やらエメラルドグリーン色の湖のようなものが見えるが、これは湯溜まりといって、火口の底に雨水などが溜まってできたものだ。差し詰め、中岳火口温泉といえばよいものかも知れない。もちろん、温泉とはいえ、入浴に適さないのは言うまでもない。この湯溜まりは、火山の活動期には消失するそうで、噴火活動予測にあたっての指標の一つになっているそうだ。

久しぶりに阿蘇に来てみて、観光客の多さには少し驚いた。というのも、平日の観光地というのは、どちらかというと閑散としているというイメージがあったからだ。確かに、噴煙をもうもうと噴き上げる火口近くまで来て、見学できる火山というのは珍しい。この迫力ある風景こそが阿蘇観光の醍醐味というべきもので、今でもこうして、多くの観光客を引きつける所以なのだろう。ただ、訪れている観光客の大半が外国人というのも、何か寂しい。日本政府が旗を振る「YOKOSO!JAPAN」キャンペーンもいいが、70年代のディスカバージャパンのような和風の賑わいも見てみたい気がする。

(写真先頭は、今も噴煙を上げる中岳第一火口)

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