2009年10月24日 (土)

お昼のB級グルメ(出雲編)

世に名の知れた、所謂、名物そばは数多いものです。例えば、岩手の「わんこそば」や山形県の「板そば」、茨城の「いわし蕎麦」、東京の「深大寺そば」、新潟の「へぎそば」、長野県で作られるそばの総称である「信州そば」など、数え上げればキリがないくらいあります。ただ、こうして並べてみると、東日本産の品揃えが多いように思います。「そば」の文化というのは、どうも、東高西低のようです。

フリー百科時点「ウィキペディア」によると、江戸で「うどん」よりも蕎麦が主流となった背景には、白米を多食する人に見られ「江戸わずらい」と呼ばれた脚気の防止のために、ビタミンB1が豊富な「そば」が良いとされたからだといいます。こうして、江戸時代中期以降から、江戸を中心に東日本では「そば」が定番になっていったのです。

東日本の「そば」に対して、西日本では「うどん」の方が優位にあるのはご存知の通り。西日本の「そば」は、基本的にうどん屋の出す「そば」という傾向が強く、関西ではそば屋に「うどん」があるのは、別に珍しいことではありません。

さて、「そば」だ「うどん」だと言って、前置きが長くなってしまいましたが、今回は、日本三大そばに数えられる西日本の名物そばの雄、「出雲そば」の美味しいお店を紹介したいと思います。そのお店の名前は、「献上そば 羽根屋本店」。お店の名前に「献上そば」というタイトルがついているのは、何でも、皇室に献上したこともある格式の高い「そば」に由来しているのだそうです。これについて、お店のお品書きには次のように書いてありました。

献上そばの由来
明治40年5月27日、大正天皇がまだ東宮の御時、山陰地方に行啓され、出雲市にご宿泊になった折、弊店の蕎麦を差し上げたところ、田園の香りをうつしたその風味がことのほか御意に召し、それ以来、この蕎麦に「献上蕎麦」の名をお許しになりました。その後、数々の御皇室の方の御食膳に供する光栄に浴し・・・。

羽根屋本店は、JR出雲市駅から徒歩で約10分くらい。出雲市今本町というところにあります。出雲市駅から徒歩で十分歩ける距離ですが、お店の前に大駐車場(というと、少しオーバーか)があり、その駐車場にひっきりなしに車が出入りするところを見ると、この店が繁盛しているのがよく分かります。

■献上そば「羽根屋」の外観

お店に入った時の印象は、鰻の寝床のように細長いお店だなという感じ。少し詰め気味でないと座れない(それは、私の体格が良過ぎるということだろうか・・・)4人掛けのテーブル席が、入り口から奥に向かって一列に並んでいます。突き当たりは、ガラス張りになっており、坪庭が見えます。しかし、後で、確認してみたところ、座席数は約80席と結構な収容人数を誇り、そのうえ、個室まであるそうで、そういえば、1階のテーブル席が満杯になった後は、2階の座敷席や1階奥の部屋などにお客を通していたようでした。

今回、私が注文したのは、「天ぷら割子」1300円なり。「出雲そば」とくれば、やっぱり「割子そば」でしょう。因みに、「割子」というのは、そばを野外で食べるために弁当箱として用いられる重箱ことをいい、昔は正方形や長方形、ひし形などいろいろな形があったそうですが、現在では底に厚みのある丸形の漆器のことをそう呼ぶようです。

「割子そば」は、三段の丸い漆器にそばを盛って出します。麺は、殻の部分まで挽き込んであるため、黒っぽくやや細め。そば粉は、出雲産と茨城産のブレンドということです。伝統の製粉による手打ちの「そば」は、香りが高く風味も程よくという感じ。別の椀には、ネギ、大根おろし、海苔などいわゆる定番ものの薬味が添えられています。

その「割子」に盛られた冷たい「そば」にお好みで薬味を乗せて、それから、1段目の割子に濃いめのそばつゆをかける。かけるというよりは、“の”の字にかけ回すといった方が正しいかも知れません。1段目を食べ終わると、残ったそばつゆは次の椀にかける。そうして、2段目でも残ったつゆは、3段目に行きます。流石に、3段目ともなると、そばつゆの量が少なくなるため、つゆを足すことになります。「割子そば」を美味しくいただくには、そばつゆをかけ過ぎないようにするのがコツだそうです。

■羽根屋製 干しそば(乾麺)2人前箱なし

さて、羽屋屋さんの営業時間は、昼11時から夜8時までです。定休日は1月1日だけとかで、定休日を気することなく、いつ訪れてもOKなお店です。主なメニューですが、「割子そば」3段は660円、「割子そば」は、一段からでもOKで220円です。「三色割子そば」は840円、「五色割子そば」は1300円、「釜あげそば」が630円など。ごく一般的な「天ぷらそば」や「たぬきそば」その他、うどんや一品もの、定食なども各種取り揃えています。さらに、干しそばをお土産として買い求めることも可能です。添付画像の「干しそば(乾麺)2人前箱なし」は、一袋300円です。尚、干しそばをはじめ手打ち生そばなどは、羽根屋さんのHPから通信販売で購入することも出来ます。

「出雲そば」を食べたけど、ちょっと口に合わなかった・・・という経験談を聞くことがあります。よくよく聞いてみると、出雲大社近くの「名物、出雲そば」とかなんとかという大看板を出しているお店に行ったとか。往々にして、観光地にある「名物なんとか」というお店は、看板倒れのことが多いものです。

「出雲そば」を以前食べて、「こんなものか」と思われたあなた。「出雲そば」は美味くないという考えに傾いてしまったアナタ。今度、出雲に来られた時は、ダマされたと思って羽根屋さんに足を運んで見て下さい。そして、これこそ本場の「出雲そば」という味に舌鼓を打ってみてはいかがでしょう。これまでの失地回復どころか、きっと、出雲そばファンになっていただけるのではないでしょうか。

(写真先頭は「羽根屋」の天ぷら割子)

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2009年9月25日 (金)

Bizan ザ 眉山

万葉の歌人にも、眉のように見える阿波の山と詠われ、尾根の形が眉のように見えることから、その名がついたという眉山。稜線はなだらかで、夕景の中に浮かぶこの山の姿は、確かにその名に相応しい。

眉山。これを全国区にしてくれたのは、やはり「眉山」という映画ではなかったでしょうか。「眉山」はさだまさし原作の小説で、2007年に松嶋菜々子・宮本信子の主演で映画化されました。勿論、舞台は徳島。末期ガンの母親を看病するために帰郷した娘が、母親に残された時間を一緒に過ごすうちに、いろいろなことに気づいていく。自分の知らない内に母親が献体を申し込んでいたこと。母親の秘められた恋。死んだと教えられた父のこと。そして、自分にとっての母が、母にとって自分がかけがえのない存在であったこと。いろいろなものが織り交ざりながら、物語は佳境へと進んでいきます。

圧巻は阿波踊りのシーン。最後に一目でも・・・と願うようになった娘は、熱狂の阿波踊りの渦のなかに母を連れ出し、東京から呼び寄せた父との再会を果たしてもらおうとする。その舞台となったのが、演舞場での総踊り。その迫力、熱気はお見事というしかありません。このクライマックスシーンは、実際の阿波踊りを撮ったのではなく、この映画のために行われたロケ。14200人もの市民がエキストラとなって協力したそうです。徳島市も、阿波踊りが終っても演舞場を解体せずに残すなど、全面的にバックップしています。こうして徳島の街全体が応援団となって、映画「眉山」を盛り上げたといいます。

■徳島空港に到着

9月16日~17日と24日~25日の2回にわたり、徳島に行ってきました。2005年の11月に47都道府県中45番目の訪問先として「福井県」を訪れて以来、約4年ぶりに、やっとというかついにというか、46番目の訪問先として徳島の地を踏みました。私にとっては、生涯を通じて初徳島ということになります。これによって、全国踏破の野望(?)にも、リーチがかかかったというわけです。

徳島は徳島でも、メインの訪問先はもう少し南の阿南市というところでした。ただ、諸般の事情もあり、いずれの日程においても、泊まりは徳島市内にてチョイスしました。今回の仕事もどちらかと言えば、ハードな部類に入るものなので、仕事以外の時間は殆ど取れそうにありませんでした。何せ、初徳島ですからいろいろと訪ねてみたいという気持ちは勿論ありましたが、それはちょっと難しそうで、「まぁ、行けても眉山くらいかなぁ」というのがせいぜいのところでした。

行けても眉山くらい・・・と思っていたところ、なんとその眉山で泊まることが出来たのです。事の成り行きはこうです。前半の日程の帰路に、せめてロープウェイで眉山くらいには登りたいと思ってはいたものの、予定の時間をかなり押してしまい、眉山もキャンセルかという事態になってしまいました。ただ、仕事だけで帰るのも癪だし、何か方法はないものかと知恵を絞ったところ、車で駆け上がればなんとか予定の時間までに空港へ戻れそうだという結論に達し、大急ぎで眉山に向かったのです。

■眉山からは徳島の市街が一望できる

その眉山の山道を登坂中、優美な曲線に覆われた建物に遭遇しました。何の建物かと思いきや、そこに行ってみたら、かんぽの宿(徳島)でした。前日に行った徳島駅近くの居酒屋に少しゲンナリしていたこともあり、とにかく周りには何もないが、「たまには、こういうところもいいじゃん」とジョイントした同僚ともすぐに話がまとまりました。直接、フロントに行って問い合わせてみたところ、予算内で十分賄えることが判明。勿論、一人一部屋で夕食もある。この好条件を逃す手もなかろうということになったのです。

その後、山頂近くの眉山公園に車を止めて、展望所に上ってみました。眉山の山頂からは徳島市街がほぼ一望できる。徳島市は吉野川とその支流が作った三角州に発達した街で、街中を縦横に河川が走っているのがよく見えます。街並みの向こうには、紀伊水道の青い海が広がり、天気さえよければその向こうに淡路島や紀伊山地も望むことができるようです。

■眉山から見る徳島の夜景

日が高い内の眺望もなかなかのものですが、ここ眉山は夜景の名所でもあります。無論、函館の夜景や六甲山から見下ろす神戸の夜景のように「いや~、これは!」と絶句する程ではありませんが、眉山から見る徳島の夜景もそれなりになかなかです。余り、有名ではないためか、夜景を見に来る人も少ないため(たぶん)、ゆっくりと、じっくりと夜景を楽しむことができます。

かんぽの宿(徳島)は、眉山の山頂近くにあって、周りに遮るものは何もないので、部屋から夜景がとても綺麗に見えます。部屋からベランダに椅子とテーブルを持ち出して、たまには夜景の海の中に浸ってみるのも一興でしょう。夜風にあたりながら、ディジェスティフのグラスを傾ける。見上げれば満天の星。そして、眼下に広がるさながら悠久の銀河を独り占め・・・。この宿は、少しだけそんな気分にしてくれます。ただし、天気のいい時に限りますがね。

(写真先頭は、吉野川大橋から望む眉山の夕景)

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2009年9月 5日 (土)

続・風のガーデン

「スノードロップは、雪解けの時期に真っ先に咲く花です。おじいちゃんの作った花言葉は、去年の恋の名残の涙です」。ドラマ「風のガーデン」は、主人公・白鳥貞美(中井貴一)の息子・岳(神木隆之介)のナレーションと花(スノードロップ)のクローズアップに始まり、舞台はすぐに東京に移る。

主人公の白鳥貞美は、高林医大病院のエリート麻酔医。一日に何件もの手術に立会いながら、後進の指導にもあたるという多忙な毎日を過ごしていた。仕事の合間には、軽妙なジョークで周囲を笑わせるなどナースたちにも人気がある。貞美がなぜ、東京で独身生活を送っているかなど、主人公の身上は徐々に語られていく。

貞美は、富良野の出身で、元は大学病院で外科医を務め、現在は地元でターミナルケアを専門にする医師・白鳥貞三(緒方拳)の家で生まれ育った。貞美には妻がいたが、知能障害をもつ息子のことを一人で背負わせたこと、また、同僚の妻でナースの内山妙子(伊藤蘭)と深い仲になってしまったことなどで、自殺させてしまう。妻を自殺させたことに、父貞三は激怒し、勘当のうえ二度と富良野に近づくなと貞美に告げていた。

■林の向こう側にはゴルフ場の名残がまだ残る

ある日、貞美は院長から、他の病院で行われるすい臓癌手術への協力を依頼される。患者は、外資系ヘッジファンドの黒幕で、不正取引でマスコミを賑わせている二神達也(奥田瑛二)だった。その夜、歌手のたまごで、以前、患者として知り合った氷室茜(平原綾香)とデートし、今度の学会が札幌であるのでそこに来ないかと誘う。

二神の症状は治療が及ばないところまで進んでいたため、延命治療に切り替えることになった。しかし、二神は病院の指示には従わず、勝手に退院してしまう。この頃、貞美も自分の体況の変化に気づく。以前、行った血液検査の結果や、時折襲う背中の痛みに不安を覚えるようになった貞美は、自らすい臓と肝臓のエコー写真を撮る。

■風のガーデンのシンボル「グリーンハウス」

学会に参加するため、貞美は3日ほど札幌を訪れた。部屋は別々だが、恋人の氷室茜も一緒だ。学会期間中のある夜、貞美は、札幌で開業医をしている友人の水木三郎(布施 博)に話があると告げ、自分の部屋に招く。その部屋で貞美からエコー写真を見せられた水木は、すぐに自分の病院で検査を受けるように勧める。検査を受けた結果、貞美は自分が末期のすい臓癌であることを知るが、水木に誰にも告げないよう口止めを頼む。

札幌から帰り、貞美は自らも化学療法を続けながら仕事に復帰する。そんなある日、病院から勝手に退院していた二神が、貞美の病院に担ぎこまれる。貞美は二神の緩和治療に取り組む傍ら、話相手になる。二神は、自分の死期のことや利用価値がなくなった自分を捨てていった周りに苛立ちを見せるが、貞美は同じ境遇にあることを隠しながら穏やかに接していく。

貞美の体況はますます思わしくなく、癌の痛みも頻発するようになるが、麻薬パッチなどを使いながら耐えていた。しかし、貞美の異変を敏感に感じ取った妙子が、突然、貞美の部屋を訪れ、問いただすが、貞美はシラを切り通す。しかし、この日、妙子は麻薬パッチの台紙をごみ箱の中に見つけてしまう。

初夏のある日、貞美は従妹の上原さゆり(森上千絵)に誘われて、札幌を訪れる。よさこいソーラン祭りで踊る娘のルイ(黒木メイサ)に会うためだ。多くの観衆の中で、ルイの姿を眩しそうに見つめる貞美。その胸にはどんな想いが去来していたか。この夜、さゆりの計らいで、ルイと貞美は6年ぶりに再開を果たすはずだった。しかし、再開は実現しなかった。北海道を離れる恋人との最後の夜を選んだルイは、さゆりの説得を振り切り行ってしまう。

■貞美が二神から譲り受けた診療設備付きのキャンピングカー。風のガーデンの沢向こうに今も残る

ルイに会えなかった貞美は、翌日、列車で富良野に向かう。そして、旧知の友人たちに顔を見られないように、内緒で妻の墓参りをする。この後、ルイが育てているガーデンを見に行くが、そこには息子の岳の姿が。いそいそと花の手入れをする岳を、貞美は、身を潜めて見守る。

■グリーンハウス内部の家具たち

簡単にストーリーに触れてから、本文にと思っていたら、丁度いい区切りをなかなか見つけられず、4話くらいのストーリーまで追ってしまいました。ドラマの方はもうDVDにもなっていますので、もし、ご覧になっていない方は、是非チェックしてみて下さい。

さて、ドラマ「風のガーデン」は人の生と死や家族の絆、医療崩壊、ターミナルケアなど非常に重いテーマに取り組んでいます。特に、人がどう生きて、どう死ぬかというようなことは、個々の思想、観念、あるいは哲学にも関わる問題なので、なかなか答えを示すのは難しい。この余りにも重いテーマに挑んだせいか、ドラマ「風のガーデン」は、驚くような視聴率を稼いだドラマではなかったように思います。

人が死に向きあった時、一体何を思うのだろう・・・おそらく、倉本聰先生の言いたいところは、こんなところにあったのではないかと思います。ただ、本当は、そんな小難しいことよりも、ガーデンの見事な出来栄えやそこに咲く可憐な花々を、存分に見せたかったのではないのかなぁ・・・と思ってしまうくらい、風のガーデンに咲く花々の描写は、細やかです。

ルイと貞美が歩いたバージンロード

では、ドラマの舞台になぜガーデンが必要だったのでしょうか?死後に最初に渡るという三途の川の向こう岸にあるという花畑を連想させるため?それも一つの理由でしょうが、それよりも、天使ガブリエルとして息子と再会し触れあいを深める場所であったり、娘と歩くバージンロードであったり、父との和解がなった場所であったりと、死への旅路につく貞美にとって、何にも代えがたいユートピアで、貞美が今まで犯した罪が全て許されるための場所、そのためにどうしてもガーデンという舞台が必要ではなかったのか・・・そんな気がします。

命というものには、終わりが来るけれども、また、新しい命が生まれ、そして育っていく。ドラマの最後にはそんなメッセージが込められているように思います。とにかく、考えさせられることも多く、テーマもとても重いのですが、見終わるととても優しい気持ちにしてくれる。「風のガーデン」はそんなドラマでした。またまた、倉本センセイの術中に嵌ったような気もしますが、富良野のガーデンともども、ドラマの方も改めてご覧になっては如何でしょう。

(写真先頭は、風のガーデンの入口に立つ門)

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2009年8月22日 (土)

風のガーデン

「山裾でよく風が吹くので秋口になると草の穂がなびいて風の通り道がよく見えるんです。もともとは、おじいちゃんとおばあちゃんが始めたものを母が引き継いだ・・・」ドラマ「風のガーデン」の中で、主人公白鳥貞美の娘ルイがこう語る風のガーデン。フジテレビの2008年10月クールで放送されたドラマ「風のガーデン」のロケが行われたこのブリティッシュガーデンは、富良野市の北の峰にあります。

風のガーデンがどこにあって、公開されているかどうかなどということを知ったのは、今年の5月のこと。仕事で富良野を訪れることなど滅多にないのですが、たまたま富良野にお住まいの方のところを訪れる機会があって、その後、次の行き先に向かう途中、レンタカー店でもらったドライブマップを見ていた同僚が、「風のガーデンは、ここにあるんですね」と教えてくれた。

同僚は、ドラマ「風のガーデン」を見て、いたく感動したらしいのですが、何分、こちらはドラマを見ていないので、「どうしても・・・」という気持ちはありませんでした。ただ、なんとなく惹かれるものを感じ、行ってみようかということになったのです。しかし、ガイドマップを見ると、ガーデンのオープンは5月30日からということで、まだ10日ばかり早かった。このため、この時は、残念ながら(勿論、同僚にとってですが)、風のガーデン行きは諦めました。

時は3ヶ月ほど流れ、再び富良野を訪れました。そもそもは、帯広での仕事をこなして東京に戻るというだけのスケジュールでしたが、仕事を終えた後に、いつもの如く札幌に出向いて旧友と一献酌み交わすか・・・ということを企んでいた時に、「折角だから、数日は北海道で過ごそうか・・・という衝動(?)に駆られた」というのがその理由です。ずっと札幌にいても芸がないので、それならば、富良野にでも行ってみようかと思ったわけです。

このブログを始めた頃にも、そのようなことを一度やったことがあるのですが、そのときは、朝札幌を出て、富良野・美瑛を車で往復しただけ、と言ってもいいくらいのゆとりのないツアーでしたから、今度は、あくせくするのは止して、富良野に一泊してゆっくりしようと思っていました。ただ、泊まるところを確保するのは、ちょっと大変でした。シーズンを少し過ぎようとしていた頃ではありましたが・・・。

富良野での2日目、風のガーデンに行ってみることにしました。この段階でも、まだドラマのことは知らず、どうしても行きたいという気持ちがあったわけではなく、観光スポットの一つに行くというくらいの感じで出かけました。

風のガーデンは、新富良野プリンスホテルの前にあります。前とはいえ、ホテルから風のガーデンまではかなりの距離があります。 ホテル前の駐車場から坂道を少し歩いて下ると、受付をする小屋があります。ここで、入園料(500円)を支払うと、送迎車でガーデンの入口まで運んでくれます。

受付小屋からガーデンまで、送迎車はゴルフ場のカート道のような細い道を辿って行きます。窓から見える風景も、「まるでゴルフ場だな。これは」と思っていたら、まさにその通り。風のガーデンは、平成18年(2006)にクローズしたゴルフ場に造られたそうで、人間の手が加えられて造られたものを自然に還す活動の一環なんだと、送迎車の運転手氏が説明してくれました。

風のガーデンに着き、早速中に入ってみました。最初に見たままの印象は、「なんか、手入れの悪い庭みたいだな・・・」と、申し訳ないですがそんなものでした。私の思い画くガーデン像というのは、バラをはじめ、色とりどりの花々が競うように咲き乱れ、雑草のようなものなどありえず・・・といったものだったからです。

しかし、周りにいた人たちは、いたく感激しているようで、やれガブリエルがどうだとか、岳っくんがどうしていたところだとか、どうのこうのという話題で盛り上がっていました。しかし、ドラマを知らないこちらには、意味がさっぱり分からず、ついて行けません。この時が最初でした。このガーデンがドラマでどんな意味を持っているのだろうとか、ふつふつとそんな気持ちが湧いてきたのは。(この原稿をアップする時点では、ドラマの内容もバッチリです)

ドラマ「風のガーデン」の撮影のために造られたこのブリティッシュガーデンは、もともとのゴルフ場の敷地から2000m2の芝を剥ぎ、600トンの土を入れ替えたうえで、2006年6月頃から造成が始められました。同年の7月には花植えの区画を整えて、8月上旬頃から花を区画毎に植えていったといいます。365種の花が季節ごとに咲き、見る人に癒しの風景を与えています。ドラマでは、主人公の父・白鳥貞三が孫のルイ、岳とともに妻が残したこのブリティッシュガーデンを育てているという設定になっています。

ガーデンの突き当たりに、平屋の家があります。その家は、グリーンハウスと呼ばれ、ドラマの中でも重要な役割をもっています。中には、アンティークな調度品が集められ、壁には貞三の妻が残した水彩画が飾られています。ドラマの中では、主人公の白鳥貞美の回想の舞台となったり、息子の岳との触れ合いの場となったり、ガーデンの中でもシンボル的な位置を占めています。

風のガーデンに行った後、携帯で写メールを送りました。相手は、この5月に一緒に富良野に行った同僚です。「今、ここにいるんだけど、どこか分かるかな?」と。しばらくして、同僚から返事が来ました。「風のガーデンですか?再放送も見たので、行きたかった」ととても残念そうでした。うむ、やっぱりドラマを見るしかないか・・・、となったわけで、「よし、旅から戻ったら速攻でレンタルショップに行くぞ」と、あぁ、すっかり大天使ガブリエルの罠に嵌まったようです。

(写真は全て、風のガーデン)

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2009年8月21日 (金)

お昼のB級グルメ(帯広編)

ぱんちょう3

豚丼は帯広の文化と言ってもいほどの・・・というと、少しオーバーかも知れませんが、知名度においても、人気についても申し分なく帯広の名物と言ってもよいでしょう。実際、帯広には豚丼を扱う店がたくさんあります。

なになに、君は今までに帯広で豚丼は食べたことがあるかって?田中要次風に言うなら、「あるよ」ということになります。では、どうして今まで紹介しなかったのかって?う〜む、それは、前回食べた時は、そういう気持ちにならなかったからでしょう。確か、この前、豚丼を食べた時は、後で胸焼け気味になり(こっちの体調のせいかも・・・、というところはありますが)、そんなモンを紹介できるかい、と思ったからだと思います。では、どうして、ここで豚丼かって?それは、今回久しぶりに食べたら、胸焼けにならなかったし、それにうまいと思ったから。ただ、それだけです。

今回は、時間帯も丁度、お昼時でしたし、さらに、帯広から札幌に向かう列車の待ち時間が2時間以上もあったので、どうやって、時間をつぶそうかなぁと考えながら、駅前でボーっとしていたところ、何やら、行列が見えるではないですか。人間の心理というものは、面白いもので行列なんかがあると、どうしてもそこに目がいってしまう。そのうえ、何の行列か分からないうちについつい後ろに並んじゃった、なんていうのはよくあることです。並ばないとなんか損をするんじゃないかって、そんな気持ち、なんとなくわかるでしょう。

行列の先頭がどこかというのは、すぐに分かりました。豚丼の専門店「ぱんちょう」というお店です。帯広にはもう何度も来ていましたから、勿論、お店の名前は知っていました。そりゃあ、有名ですし。そこで、時間もあるし行列に加わってみるかという気になったのです。この時は。でも、豚丼で胸焼けになったら困るなぁ、とちょっと心配ではありましたが・・・。

ぱんちょう1

私が並んだ時、家族連れ、観光客らしきカップル、近くの会社員など12、3人の人が待っていました。実際は、場所取りに1名だけ待っていて、入れそうになったら、後から加わるという組が2組ほどありましたので、実際はもっと多くの人が、前に立ちはだかり(?)ましたが、やはりメニューが一種類しかないということからでしょうか、思ったより回転が早く、30分もしないうちにお店に入ることが出来ました。

どうして、行列ができるか?「それは、豚丼がウマいからだろう」って。そう、理由の一つはそれです。ですが、もう一つ理由があります。それは、お店がとても狭いのです。数えてみたら、6人掛けのテーブルが4つ、4人掛けのが2つ、2人掛けのが2つ。それだけなのです。勘定してみると、最大収容人数34人でした。人気があって、収容数がこれだけなら、当然、外に溢れる。これで納得です。このため、すべてのお客にゆったりとしたスペースが与えられるはずがありません。まず、相席で当たり前という気持ちでお店に入ると良いでしょう。

お店に入ると、かなり年配のウエイトレス(?)が、テキパキとお客をさばきます。食べ物のメニューは、豚丼しかありません。ただ、豚丼にはランクがあります。ランクというのは、うな重なんかのお品書きによくある、松竹梅とかいうアレのことです。一般的には、松が最上級ランクで、次に竹、梅が最も「家計にやさしい」タイプになるのですが、「ぱんちょう」では梅、竹、松の順番になっています。どうして、そうかって?それは、実際にお店に行って聞いてみるといいでしょう。なかなか心温まるいい話が聞けるかも知れませんよ。

ちなみに、私は竹を注文しました。ランクからすると4番目中3番目になりますが、何せ、また胸焼けにでもなったらなんて思うと、大きな丼などとても注文する勇気はありませんでした。決してケチった訳ではありませんので、念のため。それでも運ばれてきたドンブリからは、既に肉がはみ出しているのが見えました。蓋をめくってみると、4、5枚ほどのお肉がご飯を覆っていました。どのお肉も、見た目は結構脂ぎっています。こりゃ、また、胸焼けかな・・・と思いながら、一口食べてみました。しかし、思ったほど脂っこくないなとすぐに気付きました。

それもそのはずで、「ぱんちょう」ではお肉を炭火でじっくりと焼くそうです。ですから、少しこげ目もありますが、おかげで余分な油分が落ちているのです。肉は、十勝産の豚ロース肉。しょうが焼きより厚く、ステーキよりは薄いという厚さの肉を、所謂、ぱんちょう秘伝のたれに漬け込んでから焼く。炭火で炙られて、余分な油を飛ばした肉はとても香ばしく、ジューシー。そのうえ、とてもやわらかい。

さらに、このお肉を下から支えているご飯がまた、ウマいとくる。お米自体も美味しいのだと思いますが、炊き方もすごくいい。丼もの、いや、ここの豚丼にぴったりの固さに炊き上げられています。このご飯に先ほどの秘伝のたれが絶妙にからむ。ツユだくではなく、ほどほどにご飯に浸みているところが、これがまた、そこはかとなくいいのです。

「元祖 豚丼のぱんちょう」は、JR根室本線帯広駅北口から歩いてすぐのところにあります。駅前のロータリーを横切ると、どなたにでもすぐ分かると思います。営業時間は、11時〜19時までで、定休日は毎週月曜日と第1、3火曜日です。豚丼発祥の店として全国的にも有名になったせいで、地元の人のみならず、観光客も結構来ています。ですから、わざわざ並んでまで・・・という方には向かないかも知れません。

メニューは、豚丼のみ。既に触れましたが、最も安い松が850円、竹が950円、梅が1050円で、スペシャルバージョンの華が1250円というラインアップです。その他、お味噌汁が2種類あって、具がわかめの味噌汁が180円、なめこ汁に至っては200円で、これはちょっと高すぎませんか!!という気がします。

たくさんの人が行列をつくる「ぱんちょう」は、帯広・十勝の豚丼の代名詞。十勝産ロース肉を炭火でじっくりと焼いて、秘伝のタレで仕上げた味はなんとも香ばしい。十勝の恵みともいえる最高の豚肉をさらにおいしく食べたいというみなさん、十勝にお越しの節には、「ぱんちょう」さんに行ってみてはいかがでしょう。

(写真先頭は「ぱんちょう」の豚丼・竹)

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2009年8月15日 (土)

2009年総集編(前編)

年末恒例の総集編を、今年は夏に作ってみました。

前回、投稿してから、早、3ヶ月が経ってしましました。本当に月日が経つの早いものです。1ヶ月に1回くらいはなんとかと思っておりましたが・・・。前回投稿が5月12日ですか?いやいや、本当にご無沙汰でした。こんなに休載してしまいますと、どうやって再開したらいいか分からなくなるものです。数ヶ月前のネタで白白しくリスタートするのもなんだと思い総集編でさりげなく再開してみることにしました。

別に、書くのを止めた訳ではないですよ。更新をしなきゃなぁ・・・とは思ってはいました。思ってはいたのですが、なかなか書く気にならない。大体、最近は1ヶ月に1本くらいで、まぁ、いいかというなまけ癖とすっかり仲良しになっていましたから、2~3週間なら「別に?」と気にも止めません。しかし、1ヶ月くらい経ってくると、取りあえず何か書かなきゃなぁ・・・と一応は思うのです。

今までだと、ここで何とかひねり出して・・・。ひねり出すというのは、ネタだとか気力だとか、まぁ、そういうモノですが、どうも今回はそのモノがなかなか出て来ない。出てこないんだなぁこれが!っていう感じですか・・・。確かに仕事も忙しかった。ポジション的にも、自分の仕事だけをこなしていればいいという状態ではありませんでした。平行してプロジェクトが走って、それもやらなきゃいけなかった。まぁ、そういう言い訳的なものもたくさんありました。

しかし、前半戦のリストを見ると、別に旅に出ていない訳では(ないみたいですね)。ただ、もう何度も出かけているようなところに、さらに何度も足を運ばなければいけないというパターンが多かったですし、そのうえ、近場での仕事が多く、日帰りのケースが多かった。日帰りの時は、大抵、オフィスで半日くらい仕事をしてから出かけますから、そうすると、近場のどこそこを改めて探訪する・・・という気にはならないものです。なかなか。

こうやって、くどくどとご無沙汰の理由を並べていても仕方がないので、前置きはこのくらいにして、2009年前半の旅を振り返って・・・という前に、もう一つ。

今年の夏は、いや、「も」と言った方がいいのでしょうか、普通の夏ではないように思えませんか?とにかく、全国的に雨が多すぎる。夏らしくない天気が続いています。私の故郷の中四国などは、8月になってやっと梅雨明け宣言が出たのです。あれは、確か8月4日だったと思います。先方に向かう車の中でそのニュースを聞いて、「え~」と思ったものです。8月にもなっているのに、まだ、梅雨明けしていないの?と驚いていたら、まだまだ上手がいて、それは、東北地方のこと。梅雨明けはまだとニュースで聞いて、さらにびっくり。この原稿を書いている今でさえ、梅雨明けしていないそうです。一体、地球の気候はどうなっているのでしょう?

今年の水害の多さも、気にかかります。最も悲惨だったが、7月21日の山口県防府市の豪雨被害。特別養護老人ホームの裏山が崩れて、大量の土砂が施設に流れ込み、数多くの死者や行方不明者を出しました。また、7月25日には、九州北部に大雨が降りました。 気象庁の観測によると福岡県では25日朝までの24時間雨量が300ミリを超えたといいます。

それに、8月9日から10日にかけての台風9号による大雨被害で、兵庫県作用町や岡山県美作市に、22人もの死者が出ました。とにかく、最近の自然災害、特に水に関する災害は、今までの常識や想定を超えていると思われ、従来の想定を抜本的に見直さなければいけない時期に来ているのかも知れません。とにもかくにも、被害に遭われた方には、お見舞いを申し上げ、また、亡くなられた方々にはご冥福をお祈りしたいと思います。

それでは半年分ですが、とりあえず Here We Go !

(1月)

1回目:期間=1月13~14日・目的地=秋田市、由利本荘市

2回目:期間=1月15日~16日・目的地=浜松市

雪の札幌

〔コメント〕まるで、水墨画のような風情。何度も訪れた大通り公園の冬の一コマです。毎回凝りもせず、普通のビジネスシューズしか持って来ないので、予期せぬ(?)雪中行軍にはいささか閉口しましたが、おっかなびっくりの足取りでようやく訪問先にたどり着こうかというタイミングで目に入ったこの景色。シャッターを切らずにはいられませんでした。写真では、肉眼で視たような質感とかコントラストを表現できないのは残念ですが・・・。でも、札幌にお住まいの方々には、別に珍しくもなんともない風景なのでしょうか、カメラを構えている私を見て、何を撮ってるの?と言いたげな感じでした。

前日は、お馴染みの函館での仕事で、そこから空路で札幌に入りました。札幌から丘珠空港まで例のプロペラ機に再び乗りましたが、強風、雪雲、そして雪そのものの影響で、それはそれはスリリングな飛行でした。欠航ギリギリでフライトを決行したのではないかと思われるほどで、縦揺れ、横揺れを思う存分味わえまして、なかなか結構な経験をさせていただきました。写真は、雪の大通り公園)

3回目:期間=1月19日~20日・目的地=函館市、札幌市

4回目:期間=1月28日・目的地=岡崎市、浜松市

(2月)

5回目:期間=2月3日~4日・目的地=石川県羽咋市、岡崎市、浜松市

6回目:期間=2月9日~10日・目的地=函館市

(3月)

7回目:期間=3月5日~6日・目的地=横浜市青葉区、江東区亀戸

8回目:期間=3月9日・目的地=江東区亀戸

9回目:期間=3月10日~11日・目的地=、熊本県菊池郡大津町、福岡市、北九州市門司区

10回目:期間=3月13日・目的地=横浜市青葉区

11回目:期間=3月17日・目的地=練馬区西大泉

12回目:期間=3月24日・目的地=練馬区西大泉

(4月)

13回目:期間=4月14日・目的地=豊島区東池袋

14回目:期間=4月16日・目的地=練馬区西大泉

15回目:期間=4月20日・目的地=西東京市

16回目:期間=4月26日~28日・目的地=倉敷市、出雲市、尾道市、岡山市、高知市

(5月)

17回目:期間=5月8日・目的地=仙台市

18回目:期間=5月11~12日・目的地=人吉市

19回目:期間=5月13日・目的地=練馬区西大泉

20回目:期間=5月18日・目的地=岐阜市

21回目:期間=5月19日~22日・目的地=札幌市、富良野市、旭川市、北広島市、苫小牧市、千歳市

22回目:期間=5月24日~25日・目的地=札幌市

23回目:期間=5月28日~29日・目的地=福岡市

(6月)

24回目:期間=6月4日~5日・目的地=福岡市

鬼の洗濯岩

〔コメント〕記憶を辿ると、おそらく高校の修学旅行以来では・・・?というくらい久しぶりに青島(宮崎県)に行ってきました。平日だったせいもあるのでしょうか?それとも、最近ではだいたいこんなものなのでしょうか?それにしても、観光客はまばらでした。以前来た時は、もっと賑やかだったような気もするのですが・・・。

対岸と青島を結ぶ弥生橋から振り返ると、一番目立つところに、まるで廃墟のような建物があります。これは、旧青島橘ホテルで、紆余曲折を経て、1990年に閉鎖されてから19年もの間野ざらし状態になっているということです。せっかくの景観がまるで廃墟のような建物で台無しになっており、東国原知事ではないですが、早く「どげんとしてもらわんといかん」と思うのです。

国の特別天然記念物に指定されている青島は、周囲1.5kmほどの小さな島で、ビロウ樹をはじめとする熱帯や亜熱帯植物に覆われています。島の中には青島神社があります。現在では宮崎を代表する観光スポットも、もともとは神聖な場所であり、明治より前なら、一般人は祭日以外シャットアウトだったそうです。また、青島の周囲の海岸は、その形状が洗濯板に似ていることから、鬼の洗濯板(鬼の洗濯岩)と呼ばれています。写真は、鬼の洗濯岩)

25回目:期間=6月17日~19日・目的地=宮崎市、西都市、宮崎県高鍋町

26回目:期間=6月26日・目的地=静岡県伊東市

金印

〔コメント〕社会科の教科書に必ず登場する金印、正式には漢の委の奴国王の印と言います。アナタは読み方を覚えていますか?金印は、1784年志賀島で発見されました。

志賀島に行った理由ですか?金印が発見されたところを訪ねてみたいと思って・・・、んな訳ではなくて、福岡空港に降りる飛行機から見える海の中道が余りにきれいだったので、そこを走ってみたいな。せっかく車だし・・・そう思っただけです。

ですが、飛行機から見るのと車で走ってみたのとは大違いで、コバルト色の海に挟まれた全長8kmの白い砂州を貫くドライブも、普通の住宅地を車で走っているのとさして変わらず、期待してきただけににちょっと残念でした。

海の中道で外したので、この近くでどこかいい所がないかな?と物色していたら、そうそう、「志賀島といえば金印だ」と頭に浮かんだ訳。ま、こういうことでもないと、まず来ることもはないだろうと思い、金印が出土したと言われるところに造られた「金印公園」を訪ねてみることにしました。

金印公園は小高いところにあり、少し急な階段を登ると、すぐに金印のモニュメントが迎えてくれます。これが例の奴(やつ)かぁ・・・、思ったよりでかいな。と思うのもつかの間、石碑の横に立っている案内板に目をやると、実際の金印は一辺の長さが、2.3センチ、高さが2.2センチの小さなものであるということが分かります。それに、実物は国宝に指定されており、福岡市博物館に展示されているとのこと。ここ金印公園なる処もそれなりに風情はあるように思いますが、よほど邪馬台国のことに興味でもない限りは、博物館で本物をご覧になった方が良いのでは・・・と。率直な感想です。(写真は、金印公園にある金印のモニュメント)

27回目:期間=6月27日~29日・目的地=福岡市、福岡県太宰府市

(7月)

28回目:期間=7月10日~11日・目的地=静岡県伊東市

29回目:期間=7月28日・目的地=東京都町田市

これから、後半はどんな具合になるか分かりませんが、なんとか更新してまいりたいと考えておりますので、ご支援、ご指導、ご鞭撻など宜しくお願いします。では、後半スタート!

(写先頭は、水害への注意喚起を促す人吉市街の電柱表示)

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2009年5月12日 (火)

お昼のB級グルメ(人吉編)

人吉9

「ところで、お昼はどうするの?」。帰り支度を整えて、「さて」と腰を上げようとしていた時である。水俣で知り合って、今は、人吉で仕事をしているY氏からそう言われた。さんざん大食いをした翌日のことである。昼くらい抜いてもいいか、くらいに思っていたのだが・・・。

「ラーメンでよければ、ウマいところがあるんだけど」という。Y氏によれば、そのお店は、テレビ番組か何かで優勝か準優勝かしたらしく、また、関東の「なんつっ亭」の店主が、その店で1年間修行をしたということで、全国的にも有名なのだそうだ。「昼時に行ったら、まず入れないよ」ということだし、熊本出張の時には、大体一緒に飲んでいる同期のK氏も、人吉に来たら間違いなく寄っていくらしい。

開店の時間は、午前11時45分(実際は、11時30分)だというし、ここ(中青井町)からだと、歩いて10分もかからないくらいだから、是非行った方がいいよと勧められた。それで、「悪いが、これからすぐ出かけなければいけないので、一緒に行けないのが残念だけど」とちょっとつれないY氏の声を背中に、訪問先を後にした。

そのお店の名は「好来」という。Y氏からは「コウライ」と教えられたが、厳密に言うなら「ハオライ」というのが正しい。Y氏曰く、「昨日泊まっていた人吉旅館の前の道をずっと行って、突き当たったあたりだよ」というかなりアバウトな説明を頼りに、取り敢えずは行ってみることに。どれどれ、人吉旅館前を過ぎてと・・・。確かに、その道がまっすぐに進めないぞと誰でも分かる地点まで来ると、1軒のラーメン屋があった。

11時43分である。しかし、店が開いていない。「おかしいな。人気の店なら、誰か待っていても良さそうなものだが・・・」と勘ぐる。それに、店の名前は確か『コウライ』とかなんとかでは・・・と思いながら、よく、そのラーメン屋の名前を確かめたところ、看板には「桃源」と書いてあった。このあたりで、ラーメン屋というとここしかなさそうだけどと、少し不安になってキョロキョロしたが、やはり、ラーメン屋はここ以外なさそうだった。もう、二度と来ることもないかも・・・と思うと、ちょっとしたプレッシャー(?)さえ感じる始末。

人吉10

■「好来ラーメン」の外観

ここで、新兵器登場。丁度、携帯を変えたばかりで、これに内蔵されていたGoogleマップに「好来」と入力し、検索してみたら、なんとヒットするではないか。場所は、ここではないとすぐに確認。すぐ近くのようだが、場所は明らかに違うみたいだ。時間を見る。11時50分。焦る。携帯に表示された地図を頼りに小走りに急ぐ。そして、見つけた。そのお店は、国道445号線沿いに佇む何の変哲も無いラーメン屋に見えた。

店の中を覗いてみる。小じんまりとしたお店には、テーブルが3つか4つほど。すでに、地元の人らしき方々で大盛況(?)である。「仕方ない。空くまで待つか」と外でウダウダしていたら、地元のツウらしき方が席を空けてくれ、すぐに席につくことはできた。壁に貼ってあるメニューには、「ラーメン 550円」とあるだけ。このお店の主人は凄く自信であるのか、やる気がないのかどっちなのだろうかと思った。

ラーメンを注文する。注文できるのはラーメンだけだから、当然、そうなる。ラーメンが目の前に登場すると、なんとスープは真っ黒。墨汁でも入っているのではないかと疑うほど黒い。この黒いスープの素はマー油だそうだ。このマー油こそ、好来ラーメンの個性というべきか。ニンニクと胡麻油、ラードを炊いて作ったベースがその色になるのだという。

これは、凄く濃厚なスープかなと思ったら、口にしてみると以外にあっさりとしている。味わうと、少し苦味があって、最初は「え?」という感じだが、そのちょっとした苦味が逆に食欲をそそる。このスープが絡むのが、たっぷりとした自家製麺。このコシの強い麺と黒いスープの相性はかなりイイ感じである。麺のボリュームも結構すごい。食べても食べても減らない感じがするくらい丼に盛られている。いや、詰め込まれていると言ったほうがいいかも知れない。

そのうえ、麺の上には茹でたモヤシがてんこ盛り。それに、柔らかいチャーシューが3枚。その他、見た感じはお茶漬け用の塩昆布をお湯でもどした様な野菜?茸?まさか本当に昆布ではあるまいとは思うが、何だろう?味はモヤシに近く、淡白な味わいの黒く長細い謎の食材も、モヤシと同量くらいたっぷりと入っていた。(これが何かご存知の方は、是非、教えていただきたい)

さて、「好来」というお店は、JR肥薩線人吉駅から歩いて10分くらいの人吉市下青井町というところにある。前にも触れたが、開店するやいなや、車や徒歩でひっきりなしにお客さんが訪れる。私が、訪ねた時は、殆どこの店の常連さん達で埋まっていたように思うが、遠くからわざわざこの個性的なラーメンを食べに来る人も後を絶たないという。

「好来」の営業時間は、昼11時30分から夜8時まで。定休日は、毎週月曜日。お昼前後は、ほぼ満席状態と思ったほうがよく、早めに行かれることをお勧めしたい。

(写真先頭は「好来」のラーメン)

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山よし、川よし、人も吉

人吉3

日中は30度近くにもなったというのに、朝は少し肌寒い。涼やかな空気とサラサラと流れる水の音で目覚めた。時間は朝の5時半。移動疲れと晩酌の球磨焼酎が効いて、昨晩は9時過ぎには前後不覚に陥ったようだ。電気もテレビも全部つけっ放し。おまけに酔っ払って暑かったせいか、ご丁寧に浴衣も脱ぎ捨てていた。勿論、くしゃくしゃ。そうしてみると、記憶を無くすくらい呑んでも、脱いだ衣類はキチンと畳んでいたという草なぎ剛はエライ。

清流の音に誘われて、つかの間の散策に・・・というのなら、少しは「大人だねぇ」と褒めてもらえそうだが、昨日の食べ過ぎを少しでも何とかしておこうというのが実のところ。しかし、旅館の夕食というのは、どうしてあんなにボリュームがあるのかな?今回お世話になった「人吉旅館」さんも例外ではなかった。だったら、そんなに食べなければ?と言われそうだが、普段、食べつけないものを眼前に並べられると、やっぱりねぇ・・・。そんな後だから、一夜明けての腹ごなしなんて無意味だろうとは思いながら、運動も兼ねて散歩に出ることにした。

人吉旅館から歩いて1~2分のところに、青井阿蘇神社という神社があった。やたらと「国宝」云々という幟が立っている。国宝だとすると有料かな?と思って近づいてみたが、チケット売り場らしきものは見当たらなかった。国宝がどうのこうのというのは、一体なんだと思い、境内で掃除をしていた人に尋ねてみたら、この青井阿蘇神社が昨年(平成20年)に国宝に指定されたそうで、それも熊本県では初めてのことだそうだ。

人吉市で配られているパンフレットによると、青井阿蘇神社は、大同元年(806)阿蘇三神を祭神に創建された。現存する建物は、江戸時代に再建されたものだという。中世人吉球磨地方の独自性の強い建築様式の中に、彫刻や彩色などにおいては華麗な桃山期の装飾性を入れているが特徴だそうだ。今回、国宝指定を受けたのは、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の建造物五棟などである。

特に「桃山ぶりのエッセンス」が凝縮されたと言われる楼門はなかなか趣がある。急勾配の茅葺屋根に華麗な装飾。このように洗練された建物が、都から遠く離れた山深い里に残っていること自体興味深いものがある。また、境内には樹齢数百年にもなると言われる楠の大木が並び立ち、1円玉にデザインされている「招霊木(おがたまのき)」などがある。

人吉5

■駅前にある人吉城をイメージした「からくり時計」

それから、人吉駅の方に向かってみる。昨日、人吉駅に降り立って、最初に何だろうと思ったもののところに行ってみた。それは、駅前に立つ「お城のモニュメント」か何かと思いきや、からくり時計だった。写真にも小さく写っているが、からくり時計の脇に案内板があったので、それを紹介しておく。

人吉城をイメージした「からくり時計」。殿様、庄屋どん、相良乙女、臼太鼓踊りの一団など、計十七体の人形達が民謡「球磨の六調子」をアレンジしたメロディにのって登場します。作動時間3分10秒。

因みに、このからくり時計は、午前9時から18時まで正時毎にメロディーに載せて時を報せてくれるそうだ。

人吉9

■人吉駅構内にある「人吉駅石造車庫」

人吉駅の近くには、登録文化財・近代化産業遺産・九州遺産、近現代遺産編101・Bランク近代土木遺産など数々に指定された鉄道遺産がある。人吉駅石造車庫がそれである。歴史のテイストを醸し出すというか、なんとも懐かしい雰囲気のあるこの建造物について、傍らに立てられていた案内板から拝借して、少し紹介しておきたい。

肥薩線を行き交う列車たちを整備するための車庫。国内唯一の石造鉄道車庫とされ、現役である。球磨地方には地元産の石材を活かし、肥後の石工技術を駆使した石造建造物や石蔵がたくさん残されている。石造車庫はそれらの中で最も大きく、最も古い建物とされている。

建物の特徴としては、

・妻壁に開けられた3つのアーチが建物のシンボル
・柱形(はしらがた)と連続する窓が建物に威厳を与えている。
・火山性の石(凝灰岩)が建物を頑丈にし、重厚感を与えている。
・頑強な石造りの壁に軽い屋根をのせた西洋建築の手法である。
・SLの時代を思わせる煙抜きの「こし屋根」が頂部に見える。
・建物の輪郭や窓の上下に「蛇腹」と呼ばれる段飾りがある。

人吉6

■復元された隅櫓や多聞櫓など

人吉駅から市街を抜け、球磨川に架かる「人吉橋」に。橋上で暫し佇んでみた。川面を渡る風が心地よい。遠くにかすむ山並み。ただ、眺めているだけで癒されるという感じだ。ただ、人吉橋は歩道の幅が細すぎるせいか、人が佇むと邪魔なのである。こちらが通行妨害をしているのに、自転車で通りかかる人たちはみんな「ごめんなさ~い」と声をかけてくれる。人吉の人はなんていい人達なんだろうとそんなことでさえ感心してしまう。余り、お邪魔となっても申し訳ないので、さっさと渡り終えて、そこから左に折れて川沿いを進むことにした。少しばかり行くと、何やらお城のようなものが見えてきた。

現在は、人吉市役所となっているあたりが、人吉城の大手門があったあたり。その大手門脇から多聞櫓とそれに続く長塀と隅櫓が復元されている。隅櫓は胸川が球磨川と合流する人吉城北西隅の要所に立てられた一層の櫓で、江戸時代後期には漆の貯蔵庫として使われていたそうだ。

胸川が球磨川と合流するポイントから仰ぎ見る人吉城は、復元とはいえ長塀の白い壁と石垣や櫓の黒い壁のコントラストが鮮やかだ。少し急な階段を上り下りしなければならないが、河原まで下りて眺められることをお勧めしたい。

人吉7

■人吉城跡「水の手門」付近の石垣

そこから、人吉市役所、人吉城歴史館の脇を抜けて5分ほど歩くと、人吉城跡に着く。そもそも、人吉に来るまで、「人吉にお城なんてあったんだ・・・」というくらいで、知っていることなど皆無。だから、学習かたがた人吉城のプロフィールを人吉城跡に設置されていた案内版から抜粋して、ここで紹介しておくことにする。

人吉城は、もともと平氏の代官がいた城でしたが、遠江(とうとうみ)国相良(さがら)の出身で人吉荘の地頭となった相良長頼が、建久9年(1198)に城主となり、翌年より修築したと伝えられています。その修築の時、三日月の文様のある石が出土したので、別名を三日月城あるいは繊月城(せんげつじょう)と言います。

室町時代に球磨郡を統一した相良氏は、やがて葦北・八代・薩摩方面へと領土の拡大を図り、戦国大名として発展します。しかし、天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州征服により、球磨郡地方のみを支配することになり、以後は石高22,165石の人吉藩として明治4年(1871)の廃藩置県まで存続しました。

球磨川と胸川を天然の濠とした人吉城は、本丸・二の丸・三の丸・総曲輪からなる平山城です。大手門・水の手門・原城門・岩下門によって区切られる城の周囲は、2,200メートルもあり、広大です。本丸と天守閣は建てられずに二階建の護摩堂が建てられ、二の丸と三の丸の西側麓には城主の屋敷がありました。城の周辺の総曲輪は上級武士の屋敷となり、川岸近くには役所や倉庫が置かれました。

城内の建造物は、廃藩置県の後に取り壊されて残っていませんが、保存の良い石垣が人吉城の姿を今に伝えています。

前回と今回で終了~と思っていたのに、もう十二分に原稿が長くなってしまったようだ。よって、人吉シリーズはもう1回延長としたい。では、次回。

(写真先頭は、青井阿蘇神社の楼門)

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2009年5月11日 (月)

球磨川沿いを旅する

人吉1

久しぶりに列車で旅をした。行き先は人吉。九州山地に囲まれた清流と温泉の町である。人吉までどうやって行こうか、と考えてみた。熊本県だろう。だから、熊本空港で降りて、そこからバスで熊本に出て、JRに乗って・・・というのが普通のルートかなと思った。

鹿児島空港から高速バスでというルートもあるなと思った。地図でみる限りでは、熊本空港より鹿児島空港の方が人吉に近いのではないかと思う。だが、紙のうえと現実は違うようである。鹿児島方面からの鉄道ルートはビジネスユースには全く適さない。必然的に肥薩線と平行するように山間を縫う、九州道の方に目がいく。これを使えば楽勝かと思った。がしかし、高速バスの停留所である人吉ICから人吉市内までのアクセスが余りにも悪く、これも「使えねぇ」ときた。

人吉インターから人吉駅までは、歩けないような距離でもなさそうだったが(勿論、そんなつもりは毛頭なかったが)やはり、列車で行くことにした。久しぶりに車窓でも眺めながら、ゆっくり旅しようかなという気分になった。だから、ということではないが、起点を熊本にせず、福岡空港経由で博多から出発することにした。

博多発13時30分のリレーつばめ47号は、熊本駅に14時51分の到着。つばめとの接続を僅か4分でとって、真っ赤なボディの九州横断特急3号が人吉に向けて出発する。4分間のインターバルで済むのは、つばめの着く1番線ホームの八代寄りに切り込み式ホーム0番線(A・B)があり、九州横断特急は、ここで待機しているからだ。博多でチケットを買った時、「つばめを降りて4分で大丈夫かな」とちょっと気をもんだのだが、それは杞憂に終った。

真っ赤な2両編成の特急が熊本平野を疾走する。鹿児島本線は八代まで複線になっており、列車交換でスピードダウンを強いられる単線とは違って、ディーゼル特急の走りは快調だ。ギアチェンジによって、スピードアップ時には「グン」という衝撃をたまに受けるが、乗り心地もさほど悪くない。

人吉2

それにしても、九州の日差しは強い。いつ来てもそう思う。5月は1年の内でも最も紫外線の強い季節らしいが、そのせいだけではなさそうだ。鮮やかな新緑が目に眩い。改めて、列車の旅はいいなと思う。街や川、田園地帯の中をスピードを上げて突っ走る。後ろに飛び退いてゆく家並み、遠くにかすむ山々が旅の実感を豊かにしてくれる。

八代を出るとそれまでの風景は一変する。旧鹿児島本線の肥薩おれんじ鉄道を右手に見ながら、赤い特急は山間に向けて大きくカーブを切ってゆく。しばらくすると、翡翠色の水面が右手に現れた。日本三大急流の一つ球磨川だ。これから暫くは、球磨川沿いの渓谷の風情を愉しもうかと、景観の良い方の車窓を求めて、空いた車内を右往左往(?)してみる。

途中の鎌瀬駅を過ぎると、鉄道好きには有名な球磨川第一橋梁を渡る。この橋は、明治時代にアメリカで作られたという。こんな骨董品のような橋がまだまだ現役で頑張っている。この他にも、肥薩線には開業当時そのままの風情を残す駅舎や、大正時代に作られたというレンガ造りの発電所などが残り、まるでアンティークの宝庫のようだ。

球磨川第一橋梁を渡ると、線路は球磨川の左岸に移る。必然的に車窓から見える球磨川は左手に移り、自分も進行方向に向かって左側の座席に移動した。穏やかに流れていた球磨川も、白石あたりからは早瀬が多くなり、球泉洞、一勝地付近ではこれぞ急流という顔を見せてくれる。ただ、ちょっと残念だったのは、線路に沿って張られた電線が、折角の風景を邪魔するのである。列車の車窓からは殆どが電線のある風景となるので、そういうことが気になる方にとっては、少し興ざめと映るかもしれない。

列車が終点のひとつ手前の駅、西人吉に近づくと、球磨川は線路から離れてゆく。それまでの山間の村という風景から、なんとなく町らしくなるというか、家並みという表現が許される車窓になる。人吉盆地に入ったようだ。車内に到着を告げるアナウンスが流れ出すと、人吉まであと僅かである。

(写真先頭・中間とも肥薩線の車窓から見える球磨川の風景)

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2009年4月27日 (月)

4度目の出雲

出雲駅

久しぶりに出雲に行った。多分、4度目だと思う。「多分」というのは、記憶を辿ればということで、正確には記録を見ないと分からない。これだけ出雲に来ているというのに、駅と目的地の往復だけという気もする。

神話の国のシンボル・出雲大社にも行ったことがない。出雲大社は縁結びの神様だそうだが、縁結び自体にもう縁がないので行ってもしょうがない・・・というのが、行かない理由ではない。それに、行かないのではなくて、行けないのである。兎に角、出雲に来たときには、何故か、遊んでいる暇がない。仕事して、昼メシ食って、移動。だいたいいつもこんなパターンになってしまう。

何にも、出雲らしいことが出来ないのもくやしいので、昼メシだけは「出雲そば」を食べることにした。どうせ食べるなら、少しは名の通ったお店で食べようかと調べてみた。老舗だという、創業220年の歴史を誇る「荒木屋」さんとか、おそばを皇室に献上したこともあるという「羽根屋」さんなどがいいねぇと同僚とのコンセンサスもばっちりだ。しかしというか、やはりというべきか、そんな時間はどこにもない。ということで、結局、出雲市駅内にある「出雲そば 黒崎」というそば屋に入った。多分、老舗ではないのだろうと思いつつ・・・。

ここで注文したのが「割子そば&しじみセット」。お代は900円也のメニュー。ところで、割子そばってどうやって食べるのか知ってます?割子そばというのは、わんこそばが3段になったような感じで、それに冷たいそばつゆをかけて食べるのだが、そばの上にお好みで薬味を乗せて、先ずは1段目のお椀にそばつゆを回しかける。

1段目を食べ終わったら、残ったつゆを次の段にかける。かつて松江にもいたことがあるという同僚がそうやっており、実際のところ「ホンマかいな」と思ったが、どうもこれが正式の流儀らしい。2段目が終ると3段目も同じ様にやる。ただ、3段目ともなると、さすがにつゆが足りなくなるので、こういう場合は、少しずつ足して良い。らしい。

さて、注文したのは、「割子そば&しじみセット」というセットメニューである。他に何がついてくるかといえば、「しじみ汁」だ。NHKの朝ドラで、この3月まで放映されていた「だんだん」の中で、よく登場した「アレ」である。勿論、マナカナがやっていたバンドのことではない。これは蛇足かな?

しじみと言えば、宍道湖の名産。宍道湖では、粒が大きく、身は肉厚のヤマトシジミが取れる。厳密に言えば、お隣の松江の名物ということになるかも知れないが、細かいことを言うのはよそう。因みに、このしじみの旬は春だそうで、「しじみ汁」を美味しくいただくには、絶好の季節であったようだ。たまたま。

「兎に角、出雲に来たときには、遊んでいる暇がない」とかなんとか言いながら、結構、楽しんでいるんじゃないの?と言われそうだが、本当に暇がない。出雲市駅に10時半に着き、それから段取り通り仕事をこなして、そのうえ食事まで取って、出雲市駅13時33分発の「やくも20号」で岡山へ。岡山で13分の待ち合わせの後、新幹線で新尾道に移動。

そうしないと、次の相手との約束の時間に間に合わない。そこまでしなくても・・・といわれそうなくらいギリギリのスケジュールで、今回のツアーは動くことになっている。そんな綱渡りをしながら、翌日の高知まで無事行けるかなと思いながら、接続と接続の合間を駆ける。今回はそんな日程になってしまった。だから、もう一度言っておこう。兎に角、出雲に来た時は遊ぶ暇もない。もし次があれば、今度こそ出雲大社くらい行ってみたい。

(写真は、出雲大社を模して作られたというJR出雲市駅)

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